Day4「午前中は雨ですが夕方には五月晴れの空が広がります」①




北海道は、一年の半分以上は雪である寒地だと聞いていたが、さすがに六月下旬のこの時期は、心配不要だった。
むしろ山が少なく、地平線が見えるほどに高原が広がり、太陽の光をダイレクトに浴びられる。日焼け止め必須だ。もしかしたら地元より暖かいかもしれない。
予報通り、梅雨の気配は感じず過ごしやすい気温だ。
まさに今日は「修学旅行日和」と呼べる天候だった。

「一時半にはこの場所で集合な」
班長がそう叫ぶと、私たちは各々別れ始める。

「じゃあ蓮、先に祐介と回っとくからまた連絡して」
ごゆっくり、と私は蓮の肩を叩いて声をかける。

「あぁ、うん。了解」

蓮は短くそう言うと、下野さんに振り返る。

蓮と目が合った下野さんはほのかに頬を染め、緊張した面持ちで彼に近づく。
二人は数回言葉を交わすと歩き始めた。

茫然と彼らを見送っていたことに気づき、私も慌てて祐介との待ち合わせ場所まで向かう。

隣には小樽運河が流れ、クルージングを楽しむ人たちが目に入る。

「今日は雨、降らないのかな……」

ぼんやり空を見上げながらノスタルジックな散策路を歩いた。
Day4「午前中は雨ですが、夕方には五月晴れの空が広がります」

 

飛行機の到着を知らせる放送や、金属探知機の反応する音が響く。荷物を運ぶ車輪がゴロゴロと鳴り、あちこちから多言語で話す声が聞こえる。
荷物計量器やモニター、航空券印刷機、荷物を機内に送るベルトコンベアー、広いカウンターがあり、キャリーケースを所持した乗客もたくさん見られる。
ガラス張りの窓の外には、飛行機がずらりと並び、搭乗している人たちの様子も確認できた。
普段利用する公共交通機関とはまた違う大人な空気に、内心胸が弾んでいた。

搭乗ゲート近くのロビーにある広い待合室には、私たち緑法館高校二年生団体で溢れていた。

大型の荷物を預け終わり、手荷物検査も済ませて待機中。保安検査場で金属検査を行うのも初めての経験だった。
気軽に乗車できる電車とは違い、搭乗までにいくつもの試練を乗り越えなければいけないのは、中々歯痒いものだ。

「もうしばらくここで待機な」

引率の教員が叫ぶ。各々話していた生徒らは一瞬耳を傾けるも、すぐに会話を再開する。
ざっと辺りを見回しても、まだあと二クラスほど来ていない。

まだ時間がかかるなとソファに背を預けると、周囲の観測を始める。

すでにチェックの済んだ生徒たちが、売店でカップジュースを購入したり、飲食店で軽食を口にする姿が目に入る。まだ旅立つ前だというのに、お土産店で何かを手に取る人まで発見する。ガラス張りの窓の外を指差し、「私たちに乗るのってあれかな」と嬉々として話す生徒もいる。

全寮制とはいえど、やはり修学旅行ということで、皆の浮き立っている姿がたくさん確認できた。

「修学旅行やのに相変わらず落ち着いた顔しているね、哀ちゃん」

関西の訛りの混じった声が届いて我に返る。
顔を上げると、にこにこと笑う直樹の姿があった。

夏用の制服を着崩し、第二ボタンまで開けられた胸元からは文字の刻印されたシルバープレートのネックレスが除く。
地毛であるべっ甲色の髪色や派手な赤いヘアピンも相まって、普段通りにチャラさ全開だった。

「直樹」

「これ、奏多から」

そう言って直樹は、手に持っていた封筒らしきものを私に差し出す。
私は首をかしげながらそれを受け取る。

「何か、あいつの親がどうとか言ってたなぁ」

「あぁ」

何となく予想がついた。
封筒を開けると、予想通り手紙と一万円札が一枚入っていた。

「お金じゃん?」
直樹は、私が取り出したものに目を丸くする。
私は同封されている手紙を開く。

拝啓、哀さん。
一生に一度の修学旅行楽しんでおいで。少ないけれど足しにしてください。お土産楽しみにしています。ちなみにバターサンドが好きです。

つまり要約すると、「このお金で、私たちの分のお土産、特にバターサンドを買ってこい」という意味だ。

「いつものことなんだよね。特に北海道なんておいしいものたくさんあるからさ」

「お金渡すからその分買って来いか、身内がいるといいな」

直樹は笑うと、ごく自然に私の隣に腰を下ろす。ムスクベースの香水の香りがふわりと舞った。

「女の子のところに行かなくていいの?」

「女の子と一緒だけど」

そう言って私を指差す。軽快な振る舞いもごく自然で慣れている。
今日は本命がこの場にいないからか、隠すことなく自由奔放でいるようだ。

「私と一緒にいても、美子はいないけど」

冗談で口にしたものの、直樹はわかりやすく吹き出してむせ始める。

「何が? 何、何のこと? 美子ちゃんが何?」

「直樹って結構わかりやすいよね」

私でさえ察するほどなのだから、彼の幼馴染たちは多分、瑛一郎以外は気づいているだろう。

「そんなにわかりやすいか、俺」

「全然違うよ。特に直樹、女の子と話すの得意だからさ」

「そんなナンパ師みたいな言い方やめてよ」

「それ以外、何かある?」

私は至極真面目な顔で彼を見る。
直樹は「ちょっと、女の子の友達が多いだけ」と肩を竦めて言う。

「本命と遊びは別物って思考があるだけ。それはそれ、これはこれって言うやろ」

「やっぱり軟派じゃん」

「男ってそういうもんだよ」
直樹はあっけらかんと答える。

「まぁでも相手が悪いし、自棄にはなるよな~」

直樹は開き直ったように吐き捨てると、そのままふらりと女子グループ集団の輪に入る。あまりにもナチュラルだ。

「本命がいないと、やりたい放題だな」
ピリッと電気の帯びた声が響く。
振り向くと、そこには祐介が立っていた。

ドリンクのカップを手に持ち、もう片方の手には館内マップのようなものを所持している。恐らく友人とフロアの散策でもしていたのだろう。
直樹と同様にフットワークの軽さが表れていた。

「二年三組の生徒は、随分と自由奔放なようで」

「長いこと待たされてるからな」
祐介は、もはや開き直ったように言う。

彼らのクラスは最初に受付が終わっていたようだ。まだあと二クラス分見当たらないだけに、退屈するのは理解できる。

「それに俺、一応班長。そんであいつは、同じ班」
だからこれは班行動だな、と祐介は投げやりに答える。

「直樹と一緒なんだ」

「沙那のせいだよ。気軽に話せる人が他にいないからってさ」

祐介は頭を掻きながら言うと、私の隣に腰を下ろす。シトラスベースの香水の香りがふわりと舞った。

祐介は、直樹と沙那の二人と同じクラスだった。
そこでひとつ、納得することが浮上する。

「ねぇ、だから自由行動一緒に回ろうって言ってきたの?」

「まぁ、それもあるな。二泊三日班行動すんのに、自由行動くらい自由にさせてくれって」
その辺融通が効くんだよ、と祐介は笑いながら言う。班長の権力を行使しているようだ。

「あ、でも祐介、自由行動誘われてたんじゃないの?」
以前、奥野さんが話していたことを思い出した。

祐介は一瞬黙るも、「あぁ」と天井を見上げる。

「単純に時間なさそうだし別にいいかなって。わざわざ修学旅行じゃなくても、普通に遊べばいいだけだし」

「本命と遊びは別物ってやつ?」

「何だよそれ」祐介は苦笑する。

「さっき直樹が言ってた」

「あいつと同類にするのはやめてくれ」

それに別にそんなんじゃない、と祐介は首を振る。彼からは直樹のような軟派な空気が一切感じられないので不思議なものだ。

「祐介が直樹のことを嫌うのって、やっぱり美子?」
単刀直入に尋ねた。

祐介はしばらく黙り込むと、「そうだな」と答える。

「美子のことが好きなくせに、フラフラしているところが余計に」

「一途になったら許す?」

「許さない」祐介は目を細めて即答する。

「これはもう、身体が勝手に拒絶してるんだよな。だから仕方ない」

「人狼の時は息ぴったりだったから、意外と相性はいいのかも」

「まぁ、悲しくも、守る対象は一致していたからな」祐介は自虐的に肩を竦める。

「それよりも蓮、相変わらずだな」

祐介は、斜め前の日当たりの良いソファに座っている蓮に顔を向ける。
私はあえて視線を逸らしていたものの、話題が出たことで渋々彼に顔を向ける。

腕を組み、顔を下に向けて目を閉じている体勢からも、意識がここにないとはわかる。
普段からよく目にする佇まいだ。まだ午前の新鮮な日光を楽しんでいるようだ。

今から修学旅行だというのに、彼からは一切舞い上がっている空気が感じられない。まるで実家に帰省するような、落ち着いた佇まいだった。
それだけに、彼の思考が全く読めなかった。

「とか言う祐介も、普段と変わらないじゃん」
話題を逸らす為に彼に話を振る。

「それを言ったら、哀だって」

「私は、観測者だから」自虐的に答える。

相変わらずの態度に、私も祐介も頬が緩んだ。

「何だ何だ、おまえらテンション低いな。今から修学旅行だっつーのに」

癖のある特徴的な声に顔を上げると、瑛一郎が立っていた。
カッターシャツの中には派手な総柄Tシャツが着られ、頭にはサングラスが乗せられている。売店で購入したのか、手には複数のお菓子の入った紙袋が握られていた。
まるで南国に旅するかのような風貌に、ひと目で浮かれているとわかる。

「沖縄と間違えてない……?」
私は引き攣った顔で確認する。

「知ってるか? 雪って白いだろ。だから太陽の日が反射して、かなり眩しいらしいぜ」

瑛一郎はどや顔で言う。
あまりにも自信満々に口にするので、私と祐介は呆気に取られる。

「多分、この時期はもう、雪降ってないと思う」祐介が冷静に答える。

その言葉を聞いた瑛一郎は、数秒静止し「確かに!」と頭を抱えた。

「ま、まぁ飛行機に乗ってる間、暇だろうし、おまえらの為にお菓子も買っといてやったぜ。知ってるか?ポテトチップスを機内に持ち込むと、気圧の関係ですげえ膨らむらしい」

そう言いながら、瑛一郎は紙袋からポテトチップスの袋を取り出す。
彼も飛行機が初めてなのだろう。少年のように嬉々と輝いている彼の姿が、なんだか微笑ましく感じられた。

「よし、じゃ~そろそろ準備するから並べ」
引率の教員の声が響き、各々行動していた生徒も元に戻り始める。

「じゃ、また」
祐介はひらひらと手を振ると、颯爽と自分のクラスへと戻った。

私と瑛一郎も、熟睡している蓮を起こしてクラスの列に並んだ。

***

緑法館の生徒たちが、ぞろぞろと搭乗する。
私は指定された窓側の座席に座る。初めて飛行機に乗るが、意外と窓が小さいのだと知る。
私の隣には下野さん、前の座席に蓮と瑛一郎、後ろの座席に班長と奥野さんが座った。班ごとに座席が割り振られていたのだが、意外と班長と奥野さんは仲が良いらしい。

全員が搭乗を終え、荷物等の準備も終えた時に機内アナウンスの効果音が響く。
「あと五分ほどで走行を始めます。頭上のライトが消えるまでは着席してお待ちください」

アナウンスにつられるように頭上を見ると、シートベルト着用を促すランプが点灯していた。

「シートベルト、締めろってことだよね?」
下野さんがおずおずと尋ねる。

「多分……」

アナウンス通り、五分後にゴオオッとエンジンのかかる音と共に機体が動き始める。窓の外を見ると、建物が流れてゆっくりと走行を始めているとわかる。

航空機はそのまま十分ほど滑走路を走ると、激しいエンジン音と共に地上から離陸した。
勢いのある浮遊感から、思わず「うわっ」と声が漏れる。機内のあちこちから「うおお」と、まるで絶叫アトラクションを堪能する歓声が上がった。

航空機は、みるみるうちに天へと昇る。雲が手を伸ばせば触れられそうなほどに近い。
太陽が目前に現れたところで、航空機が地上と平行になり、安定し始めた。

約二時間ほどで北海道の新千歳空港に着く、とアナウンスされると、頭上のランプが消えた。