「恋愛」というものは、相手のことをずっと考えてしまう状態のことではないのか。
「もっと知りたい」「もっと声が聞きたい」、そして「もっと触れたい」。
大切な相手のことを想う彼らの姿は、幸せなオーラで溢れている。
今まで観測者の立場にあり、周囲の恋愛観察をしていた私にとって、そんな「恋愛」をしている者の幸せそうな顔を見ることが、恋予報士冥利に尽きるというものだった。
だからこそ自身には関心がなく、それこそ経験したいとは全く思っていなかった。
しかし、奏多に言われて気がついた。
私はいつの間にか観測者ではなくなっていた。自身が観測地点に向かい、そして災害に巻き込まれる、まさに現地リポートをする気象予報士のような位置づけだった。
そして今、私自身が災害の要因となってしまった。
気を抜けば私は、蓮のことばかり考えるようになっていた。
蓮が何を考えているかわからないからだ。だがそれは「もっと知りたい」という感情から来るものだとも理解した。
夏祭りの日に名前を呼ばれて彼が現れた瞬間、感情が止められなくなった。それだけ彼の傍にいることに安心してしまっていたんだ。
具体的な理由が何なのか、ずっとわからなかった。
経験をしていないだけに、ずっとわからなかった。
自身が一番、関心のあるもののはずなのに。
「私……蓮のことが好きだったんだ…………」
晩夏を知らせるひぐらしが鳴く。
八月下旬となり、本格的に夏も終わりを告げていた。
Day6「暴風警報が発令されました」
帰省期間が終了し、寮生活に戻っていた。
朝の習慣は、監督都合の為に学校が再開するまで休止となった。
授業再開は来週。計画性のない人間にとったら、この一週間は、宿題が片付くか否かのデッドヒートを繰り広げることになる。現に一年生の二人は、今頃必死に取り掛かっているはずだ。
だが彼らと顔を合わせないのは、今の私にとったら都合が良かった。
自室のベッドに寝転がり、茫然と天井を見上げていた。
「ごめん。それは無理かも、か」
習慣になったことで朝早くに目覚めてしまうものの、地元から帰ってきてからずっとこの調子だ。
宿題は七月中に終わらせていたので、渚や美子のように今更慌てる必要もない。
瑛一郎のように部活動もなければ、萌のように受験勉強も必要ない。
一日中、ベッドの上で寝転がっていたところで何も問題がなかった。
蓮は花火のうるさい音で掻き消されると思っていたんだろう。彼が優しい顔をしていただけ、もし聞こえていなければ都合の良いように捉えていたかもしれない。
来年、蓮は花火大会に来られない。花火大会だけじゃなく、夏祭りも対象かもしれない。もしかしたら川で遊ぶことも、皆で人狼をすることも、朝の習慣でさえ来れなくなるのかもしれない。
蓮はこの環境からいなくなる、という意味ではないのか。
私はゴロリと寝返りを打つ。
蓮は基本的に気だるげで、私たちと一緒にいる時でもほとんど自身のことを口にしないのがデフォルトだ。だが誘いには応じるところがあった。
そんな彼も最近少し変わったな、と感じていたが、もしかしたらこの言葉が関係しているのかもしれない。
蓮はこの環境から離れることを考えていたからこそ、付き合いが良くなったんだ。
一番恐れていたことなんだ————
私は、バンッとベッドを叩いて身体を起こす。
ダメだ。このままでは反芻思考ばかりだ。
地元にいる時はタイミングが掴めなかったが、今なら恐らく部屋で寝ているはずだ。
私はそのまま部屋を飛び出した。
***
目的の部屋に辿り着くと、大きくノックをする。私は一応、渚と違って常識は持ち合わせていた。
数秒後、ガチャリとドアが開かれる。
「…………哀、どうかした?」
蓮は大きく欠伸をしながら問う。乱れた髪やとろんとした目元からも、今まで寝ていました、と言わんばかりの顔つきだ。
いつもの彼であることに、無意識に安堵する。
「ちょっと蓮に、聞きたいことがあって……」
私がそう言うと、蓮は首を掻きながらもドアを大きく開けた。
私はそそくさと彼の部屋の中に入った。
基本的に皆で集合する時は私の部屋が拠点となるので、他の人の室内に入ることはほぼなかった。特に蓮は自室で寝ていることが多いので、お邪魔する機会が少ない。
久し振りに訪れたが、相変わらず物が少なくてシンプルな部屋だ。まるで至高の睡眠の為に整えられた環境のようで、徹底しているなぁと内心思う。
だが、今はそうじゃない。
蓮はベッドサイドに腰を下ろす。私は室内の床に腰を下ろした。
「前に蓮さ、夏祭りの日……もし私のところに来たのが祐介だったら?って聞いたじゃん。私、考えたの」
その言葉に、蓮は私に顔を向ける。
「全然違うよ。私は蓮だから離れたくないって思ったんだ」
「何で?」蓮は即座に問う。
「お母さんと話してた時に、もしかして蓮も私たちに何か言えないことがあるんじゃないかなって思ったんだ。お母さんたちも蓮の親と話していたからさ……」
私は言葉を紡ぐ。思考しながらなので言葉がたどたどしくなる。
蓮は黙ったまま私に顔を向けている。
「だから不安になったの。ただでさえあの時はみんなと離れちゃって、暑さで頭も回らなくて……蓮が私のところに来てくれた時、とても安心したの。だから蓮にどこにも行ってほしくないって思ったんだ」
幼馴染のはずなのに、どうしてこんなに緊張するのだろうか。
そこまで話すと私は大きく息を吸い、蓮に顔を向ける。
「それで蓮、花火大会の時に私に言ったこと覚えてる?」
私の問いかけに蓮は首を傾げる。
「蓮は聞こえてないかもって思っていたのかもしれないけどさ……聞こえたんだよ。蓮と同じく地獄耳みたい…………ねぇ、それは無理かも、ってどういう意味?」
蓮は一瞬目を見開くも、すぐに表情を戻す。
動揺が見られず、むしろ私にこのことを尋ねられることを予見していたかのような佇まいだ。
「我儘だってわかってるんだけど……蓮……私、蓮にどこにも行ってほしくない……だって…………」
蓮に顔が向けられない。
肩が丸まり、自然と身を縮める。
ドクドクと鼓動が早くなり、思考回路も鈍くなった。
顔がほてり、熱気で汗も流れ始める。
無意識に両手に力が入り、爪の食い込んだ手のひらが少し痛い。
こんなにも、地盤の安定していない場所に立つのは大変なんだ。
「私…………蓮が…………」
「俺、言っただろ」
私の言葉を遮るように声が響く。
力強くて低く、そして焦燥の混じった声だ。
思わず顔を上げると、蓮がまっすぐ私を見ていた。
「俺、何度も言っただろ。修学旅行の時も、夏祭りの時も」
そう言うと、蓮は切り取られた一枚の新聞記事を私の前に差し出す。そこには『藍河稲荷神社祭 人ゴミを狙った犯罪多数』との見出しが書かれていた。
私はその記事に載せられている写真を見て目を見張る。
「実際あの時、俺が来ていなかったら哀、どうなってたと思う?昔から知ってるから、外見がそうだからと簡単に信じていたらダメなんだよ」
————そういうところが危ないって言ってんの。昔から知ってるからって、信じていたらきっといつか痛い目を見る。
蓮の言葉に鳥肌が立った。本気で恐怖を感じ、顔が青くなる。
「で、でも…………」
「哀にとったらここは幼馴染の部屋かもしれないけど」
そう言うと、蓮は立ち上がって私の下まで向かう。
「ここは————男の部屋なんだよ」
その瞬間、蓮は私の顔を引き寄せて————キスをした。
「!?」
離そうとしても力が強くて離れない。むしろ顔を逸らそうとするたびに、頭が強く押さえられ強引に唇を重ねてきた。
恐い。
鳥肌が立ち、身体が硬直する。
思考も停止し、ドクドク鳴る鼓動の音が耳のすぐ近くまで届く。
なけなしの力で彼の肩を押すと、ようやく顔が離された。
私は頭で考えるよりも先に、彼の頬を叩いていた。
ぱちんと乾いた肌の鳴る音が、室内に虚しく響いた。
「何で……何でいきなり、こんなことするの…………?」
私は震える声で問う。目元は涙でじわりと滲んでいた。
しかし蓮は黙っている。
そんな彼が恐くなり、気づけば蓮の部屋を飛び出していた。
最低だ。最悪だ。
私はもつれる足で自室まで走る。顔が見られないように、下を向いて顔面を腕で隠した。
自室まで辿り着いた瞬間、目からはボロボロと涙が溢れていた。
「何でこんなこと…………」
強張りが解けたのか足の力がふっと抜け、ドアの前に座り込む。先ほどまで強張っていた手や唇も、ガクガクと震え始めた。
修学旅行の時、下野さんや沙那が少しだけ羨ましいなと感じてしまった。
大好きな人と一緒にいる彼女たちが、とても輝いて眩しく見えたんだ。
今考えるとそんな立場に少しだけ立ってみたい、と思ってしまったんだ。
でも、違う。
私の思っている恋愛は、こんなんじゃない。
今まで散々観測してきたからこそ比べてしまう。
好きな人とキスをするのは幸せなものじゃないのか。
それなのにどうしてこんなにも悲しいものなのか。
蓮の感情が、全く伝わってこなかったからだ。
***
夏休みが開け、授業が開始される。
今日から朝の習慣も再開されるが、私は祐介に欠席の連絡をしていた。どうしても気が進まなかった。
もし蓮が来ていたら、私は普段通りに振る舞える気がしない。
今日は忘れずに部屋の鍵も閉めていた。祐介が渚を説得してくれていたのか、彼女が部屋まで押しかけてくることもなかった。
自室の時計は午前八時を差している。
私はそそくさと洗面所で顔を洗うと、学校の準備をした。
授業開始五分前のベルが鳴る。
自分の席に辿り着くと、恐る恐る窓辺の席へ顔を向ける。
しかし、そこに蓮の姿がなかった。
「あいつが休むなんて珍しいなぁ」
気の抜ける声に顔を上げると、瑛一郎が立っていた。
「いつも寝てるけど、基本的に学校休まないじゃん」
「だ、だよね」
瑛一郎の言う通りに、蓮は基本的に学校を休むことはほとんどなかった。
自分であんなことをしたくせに、気まずい、なんて思っているのだろうか。