瑛一郎の部屋を後にして、自室に戻っていた。
渚の元に向かうか迷ったが、今はひとまず休みたい。
正直色々なことが起こり過ぎて、情けなくも頭がついていけてなかった。
幸い今日は土曜日で明日も一日休みだ。月曜日までには何とかいつもの日常に戻りたいものだ。
私は自室のベッドで大の字に寝転がる。そして大きく息を吐く。
また「元に戻る」だなんて、変化を嫌っている。
皆の違う一面が見えて不安になった。
だが、むしろ変わっていない私の方がおかしいのかもしれない。
いい加減、現状を受け入れるべきなのに。
変わっていくことが普通なんだから。
私はそのまま目を閉じて、心身の休息をとり始めた。
***
次の日の朝。朝食を取り終えてベッドで寝転がっている時に祐介から連絡が来る。
やりとりをした数分後に、コンコンとドアがノックされた。
ドアを開けると祐介が立っていた。
「渚にも連絡したんだけど返信来なくてさ。あいつ今日、仕事だったっけ?」
祐介は素朴に問う。
「あ~……渚、少し休みたいって言っていたから、もしかして寝てるのかも」
嘘を吐くのが下手なものの、何とかそれらしく誤魔化せた。
祐介も、「それなら仕方ないか」とやりずらそうに頭を掻く。
「まぁ渚と……蓮にはまたちゃんと話すから、とりあえず気になってるかなって哀には先に言っておくわ」
「何か気を遣わせてごめん…………」
「いやいや、むしろ俺の方が謝るべきだから」
そう言うと、祐介はいつものように腰を下ろす。
「まずは昨日、本当にごめん。美子が俺の部屋に来た辺りから冷静さを失ってしまって……」
「いやいや、情けなくも私たちじゃ何もできなくて…………瑛一郎が来てくれたから良かった」
「あぁ、あいつはあの後もずっと俺らの間に立ってくれてたから、本当に助かったよ」
祐介は首を掻きながら言う。
「でも祐介があそこまで感情的になったのは初めてだったから、ちょっとびっくりした……」
恐る恐る本音を漏らす。
「まぁ、一番懸念していた事項を一番知られたくなかった人物から口にされてしまったからな」
祐介は開き直ったように言うと、背筋を伸ばす。
「で、もう何となくわかってると思うけど、俺と美子は血の繋がりはないんだ。戸籍上は兄妹だけど、でも美子は施設からうちに来た、養女」
祐介は、はっきりと口にする。
仲の良い彼らの姿を見ていただけにいまだに信じ難かった。
「昨日、直樹からざっくりと聞いたよ。何で私たちまで知らなかったことを直樹が知っていたのかが気になって……」
「直樹に知られたのは本当に偶然だったんだ。それにあいつがそのことを俺に聞いてきた際、すでに美子のことが気になっているような感じだったからちょっと腹立ってさ。俺と美子は血が繋がっていないことを強調してしまったんだよな」
祐介はあっけらかんと言う。「まぁでも、だからこそあいつが嫌だったんだ」
「直樹もそれだから祐介に嫌われてるって言っていた」
「理解してもらえて感謝するよ」祐介は肩を竦める。
「美子は『特別養子縁組』として、三歳の時にうちに来たんだ。当時、俺は四歳だったけど、今でも美子が来た時のことをはっきり覚えてる。だからぶっちゃけ言うと、俺は美子のことは、妹という認識があまりない」
祐介は首を掻きながら説明する。
普段と変わらない調子で口にするが、言葉のひとつひとつが重く感じられた。
「四歳って、すでに私たち会ってたよね?」
私たちは、幼稚園が同じだったことから仲良くなった。家も近所で親同士も仲が良かったはずだから頻繁に遊んでいたはずだ。
「あぁ。でも幼稚園のことなんて、ほとんど覚えてないだろ?ましてやそんな複雑な家族構成、当時のおまえらに話しても理解できるわけがないし、何より美子自身が俺の親が実親だって信じていたんだから」
そう言うと、祐介は天井を見上げる。
「美子は前の親のことは記憶にないみたいで、それこそうちの親が実親だって思っていた。美子ってめちゃくちゃ食うだろ。それが原因で施設に入ったとか聞いた」
「そんな……」私は口を押える。
「母さんらは美子がもう少し成長してから話すと決めていたらしいんだけど……美子のああいった性格もあって、本当のことを知ったら悲しむかなって中々言えなかったらしいんだ」
祐介は苦笑する。
確かに美子は、私たちから見てもわかるほどに兄の祐介を溺愛していたから気持ちはわかる。
「時間が経った結果、転勤で母さんらは引っ越して俺らは寮に入る羽目になって、そんで今って感じだな。寮に入る時に、親がいないだけ俺も不安だったから、施設の方に挨拶に行ったんだ。で、その場面を直樹に見られたってわけ」
そして始めに戻る、と祐介は言う。
「ま、そういうわけです。昨日は本当にごめんな」
「ううん。むしろ話してくれてありがとう」
「当然だろ。おまえらは、ほとんど身内みたいなものだから」
祐介は軽く笑った。
昨日の直樹と今の祐介の話から、二人の関係性は理解できた。
複雑でありながらも、私たちが今まで見ていた彼らの兄妹愛は確かにあったんだ。
だが、いまだ少し気になることがあった。
「祐介、聞いてもいい?」
「何だ?」祐介は首を傾げる。
「さっきさ、美子のことを妹として見ていないって言ってたけど……それってつまり、そう言う意味?」
昨日の直樹との会話を思い出していた。彼が祐介を苦手としていた根本の理由だ。
祐介はしばらく黙り込むが、表情を和らげる。
それは、普段の愛しい人を想う顔つきだった。
観測者が最も幸福を感じる顔だとも言える。
「じゃなければ、直樹を本気で嫌っていない」
***
「俺らの問題が介入しちまったけど、でも哀はそれどころじゃないだろ」
祐介は切り替えるように指を振る。私の顔は強張る。
そもそも直樹が彼らの関係を口にした原因だ。私が彼に話を持ちかけたからだ。
その原因が――――
「哀さ、蓮の部屋に言ったきっかけが、『蓮が気になることを言ったから』って言ってただろ。それって何言われたんだ?」
唐突な質問に、正気に戻る。
「えっと、花火大会の日に私が『来年も来れるかな』って言ったじゃん。それを蓮にも聞いたんだけど、そうしたら蓮が『ごめん。それは無理かも』って言ったんだ。その理由が知りたくて……」
蓮の行動しか話せずに原因を話せていなかった。
だが祐介は、私の言葉に特に驚くこともなく顎に手を当てる。
「無理かも、か……それは修学旅行の時に哀があいつの様子がおかしいって言っていたことも関係しているのかもな」
祐介は冷静に分析する。「あの時も哀、蓮が何を考えているかわからないって言ってただろ」
「うん。蓮、最近考えごとをしているような上の空だったから……」
そう答えると、祐介がしばらく黙り込む。
「…………薄々思ってたけどさ、哀って蓮のことが好きなんだろ?」
単刀直入に尋ねられて怯む。
顔を上げると、祐介は口角を上げていた。
さっき彼の本心を聞いただけに、対価と言わんばかりの問いかけに感じた。
仮に隠したところで、後にほぼ確実に彼に情報は回る。
そもそも、現状を分析しようとするこの祐介の目から逃れられるわけもなかった。
「そ……そうかも…………」正直に打ち明けた。
「やっぱりな。そうじゃないかなって思ってたんだよ」
「そ、そんなに私ってわかりやすい……?」
「少なくとも修学旅行の自由行動の時はわかりやすかった」
祐介は愉快そうに笑う。
「哀は自分のことになると鈍感になるよな。わかりやすくひとつずつ解説しようか?」
「いや、いいです」私は恥ずかしくて顔を背けた。
「で、まぁここからが本題。俺少し考えてたんだけどさ、哀、この学校選んだ時のことを思い出せるか?」
「この学校に進学した時のこと?」唐突な質問に目を丸くする。
「あぁ。俺と美子は親の転勤からで、渚は俺らがここに入るからって理由だろ」
「うん。私もみんなが行くのと、一人暮らしの経験を積む為に」と私は言う。
「だよな。渚はともかく、皆、寮があるからここに入ったけど、蓮だけは確か違ったんだ」
「そうだっけ?」
彼がこの学校に入ったのも、付き合いの良い彼だからこそ、皆が入るからだと勝手に思っていた。
「ここは全寮制もあって国際交流が盛んだろ。学科も外国語に力を入れてるし」
確かにうちの学校は英語に力を入れていて、かつ交換留学なども盛んだ。
「そこで確か、前にちらっとあいつが言っていたことと哀が言っていたことから考えると、もしかしてって思ったんだけど」
そこで祐介は、悔しそうに腕を組む。
「蓮は、留学する予定なのかもしれない」
***
私たちは、足早に蓮の部屋に向かっていた。
ここ数日、彼の姿を見ていない。朝の習慣にも授業にも姿を見せていなかった。
でもそれは、私に気を遣っているんだと思っていたんだ。
実際うちの高校は交換留学が盛んだった。留学生向けの寮も備わっているほどだ。
もしも、祐介の言う通りに留学するのだとしたら。
もしも、私たちに一言もなしに、日本を発とうとしているのならば、
本当に許さない。
祐介が以前、キスをした行為が八つ当たりと言っていたあの言葉も、随分解釈が変わってくる。
今はとにかく会って話をしたかった。
蓮の部屋前まで辿り着く。
ドアを鳴らそうとするも、手で制された。
祐介が私に代わってノックした。
「蓮。俺、祐介だけど、ちょっと話したいことあるから開けてくれないか?」
祐介は落ち着いた声で尋ねる。
しばらくすると、奥から物音がしてドアが開かれる。
「祐介?と、え…………」
蓮は私を見ると静止する。「何で哀……」
「やっぱその反応か。入るぞ」
祐介はそう言うと、蓮の返事を待たずして室内に入る。
私も彼の後に続くが、そこであるものを目にする。
「蓮、何、この荷物…………」
彼の室内には、大きなキャリーバッグが置かれていた。
Day7 完