Day8「今夜は吹雪となる為、極力外出は控えましょう」①




私たちの視線は、部屋隅に置かれている大型のキャリーバッグに目がいっていた。
蓮の部屋は元々物が少ない。先日訪れた時は確実になかったはずだ。

帰省時すらリュックひとつである彼が、子ども一人入れるほどの大型キャリーバッグを所持していることに違和感を抱く。

その理由なんて、祐介の言っていたことしか当てはまらないではないか。

「家出でもするつもりか?」

祐介は揶揄うように口を開く。
動じない幼馴染の態度からも、蓮は静かに息を吐いた。

「…………やっぱ、おまえには隠せないよな」

「何のことだ? ちゃんと口で言ってくれないとわからねーよ」

祐介は軽い調子で答える。
普段、自分のことを口にしない蓮だからこそ、あえて言葉にさせようとしているのだとは伝わった。

蓮は、諦めたように小さく息を吐くと、ベッドの上に腰を下ろす。
祐介と私も床に座った。

しばらくの間、沈黙が続く。

カチカチと時計の鳴る音が響く。
静寂を破ったのは、蓮だった。

「………………ニュージーランドに一年間、留学に行く」

蓮は吹っ切れたように話す。
やはり祐介の予想通りだった。

「交換留学か。いつから?」祐介はあっさりと問う。

「向こうは一月始まりだから、十二月には発つ」

「十二月……」
目を見開く。あと二ヶ月しかない。

「だから最近、授業に参加していなかったのか?」

「そうだな。色々準備が必要で」

「前から留学をしたいって考えていたの?」

そう尋ねると、蓮は私を一瞥して、静かに息を吐く。

「まぁこの学校に進学したのも、その為だし」

「何で、言ってくれなかったの……?」

「おまえらには関係ない。これは俺の問題なんだ」

蓮は冷たくあしらう。
祐介は、そんな彼を観察するようにじっと見る。

「…………蓮は修学旅行の時でさえ舞い上がらず冷静だったけどさ、もう随分一緒にいるんだからさすがにわかったよ」

そう言うと、祐介は背筋を伸ばして腕を組む。

「おまえ、留学に行きたくないんだろ?」

唐突な問いかけに、私は「え?」と顔を向ける。
しかし祐介は確信しているようで、普段通りに全く動じていない。

祐介の単刀直入な質問に、蓮は僅かに顔を引き攣らせる。

「冷静に振る舞っているけど、いつもの蓮じゃないんだよ。基本的に眠たい時は視線が下に向く。逆に悩んでいる時は目が泳ぐ」

祐介は嬉々として蓮を指差す。
修学旅行で動物園に行った時の態度と同じだ。

「何より留学のことを話すおまえが全然乗り気に見えないんだよなぁ。でも何らかの理由で行かなければならない。だから自分の感情と現状を切り離す為に、哀に手を出したんじゃないのか?」

唐突に名前が呼ばれて身体が強張る。

「な、何で私……?」

「俺が考えていることが当たっているなら、全部俺が説明するのは野暮だよ。ってことで蓮、ちゃんと話してくれよ」

蓮はいまだ口を閉ざしている。
そんな彼を見て、祐介は眉間に皺を寄せる。

「蓮……話してくれよ…………!」

感情を抑えきれていないようで、その声は僅かに震えていた。

「おまえはいつもそうだ。自分のことを全く口にせずに黙って知らぬ顔する……行きたくないからって周囲に当たるなんて、まるで子どもだぞ!」

「おまえらのせいだよ……!」

突如、怒気の混じった低くて重い声が響き、思わず静止する。

蓮は眉間に皺を寄せ、そして辛そうな顔をしていた。
その顔には、普段は隠されている彼の感情がむき出しになっていた。

「ずっと……言おうとしてたよ。ゴールデンウィーク明けに留学が決まってからずっと。それなのに、おまえらと顔合わせる機会が増えてしまって……そしてやっぱり、俺の懸念していたことが起こったんだ」

そこで蓮は私を見る。

「哀が俺がここから離れるって勘づいた時、何て言ったか覚えてるか?『離れんな』って言ったんだよ。何より哀は自分は関係ないって無防備だし、皆も俺がいなくなったらこぞって探すだろ……割り切れていたはずなのに、行きたくないって思わせたおまえらが悪いんだ」

蓮はそこまで言うと、力なく下を向く。
感情的に話す彼に、私も祐介も唖然としていた。

「何で……そんなに留学に行こうとしているんだよ」
祐介が冷静に問う。

蓮は小さく息を吐くと、落ち着きを取り戻す。

「ずっと親に言われていたことなんだ……この寮入ったのも元々は留学の為だし、でもおまえらがここ入るって言うから別にいいやって思ってた」

蓮の言葉から、私の母が彼のことを知っていた、という事実も納得できた。

「おまえらが悪い……でも一番は哀のせいだ」
蓮に名指しで指摘されて身体が怯む。

「な、何で私……?」

蓮はやりずらそうに口を噤む。
そんな彼の様子を見た祐介は「じゃ、ここからは俺が」とバトンタッチする。

「多分蓮は、哀の変化に気付いていたんだろ。だからこそ行きたくないって思ったんだ」

「私の変化?」

「哀の蓮に対する感情だ」
祐介は目を細めて笑う。私は頬が熱くなった。

「哀だってそのことから蓮に『離れたくない』だなんて言ったんだろ」
そこの詳細は後で調べるとして、と祐介は厭らしいことを言う。

「好きな人と一緒にいたいと思うのは自然の感情だろ。でも留学を決めていただけに苛立ったんだ。八つ当たりだったんだろうけど、蓮は哀に————嫌われようとしてあんなことをした」

蓮は黙ったまま祐介の話を聞いている。無言であることが真実だと判断できた。

好きな人である蓮とキスをした瞬間、

恐怖で涙が溢れそうだった。
今すぐ離れたかった。
彼の体温を思い出すたびに背筋が凍った。

夏祭りで抱いた彼に対する安心感とは、正反対の現実だった。

それを蓮は、故意に感じさせたと言うのだろうか。

もしそれが本当ならば——……

「最低……」
言葉に出ていた。

私の言葉に、祐介も蓮も顔を上げる。

「最低……最低だよ…………!感情を弄ぼうと……そんなことで、蓮のことが嫌いになれるわけないじゃん」

「哀?」

祐介も蓮も目を丸くする。
私の脳内では、奏多と話した時のことが思い返されていた。

————みんなと一緒に過ごす楽しい時間がなくなることに対して、恐怖を感じているんだ

————恐怖を感じるのは、この関係が壊れたくないから。つまりそれって、今立っている場所が心地良いからでしょ。でも哀はそんなことないって思おうとしているんじゃないかな。

「私だってそうだよ……みんなが変わってしまうって…………この関係がずっと続いてほしいだなんて願っていた……でも、変化するのは当たり前だよ……だって私たちは不安定な場所に立っているんだから…………」

感情が止められない。気づけば私の目からはボロボロと涙が触れていた。

————でもたとえ変わったとしても今はネットもあるんだし、会おうと思えばいつだって会えるじゃん。腐れ縁ってものは、そう簡単に切れるものでもないでしょ

「でもそんな簡単に離れられるわけないでしょ……ずっと一緒だったんだから、そんなちょっとしたことで嫌いになれるわけないんだよ…………!」

興奮気味に話していると、突如頬に心地良い体温を感じる。

蓮が私の頬に手を当てて涙を拭ってくれていた。

「興奮しすぎ」

蓮は目を細めて笑う。その顔が夏祭りの時のように優しいもので顔が急激にほてる。

「だ、誰のせいで!」

「俺だよな」
蓮は苦笑すると、私を宥めるように頬を撫でる。

「ごめん……俺も多分、恐かったんだ。俺は喋るのも苦手だし……八つ当たりだった」

「蓮……」

「不安だった。ただでさえ哀は自分のことに無関心で不用心だし、近くにいなくなるとなったらどうなるかって」

「気をつけます」

頬に当てられた大きな手に触れる。
私がずっと欲しかった温もりだ。

蓮の体温が心地良くて、次第に頭も冷えていった。

「俺、いるの忘れてないか?」

突如、声が響く。
顔を向けると、祐介が腕を組んでニヤニヤ笑っていた。

私と蓮は慌てて距離を取る。祐介は動じずに頭を掻く。

「ま、蓮が哀のことを好きなのは、前からわかってたからな。俺から言わせてみれば、やっとかって感じだけど」

「は?」蓮は目を見開く。

「だって蓮、基本的に哀がいると行動派だし」
祐介は悪戯っ子のように笑う。

蓮は昔から付き合いが良いとは感じていたが、それと関係するのだろうか。

祐介に相談した際、彼はすぐに蓮の行動を「八つ当たり」と判断した。それに途中からはもはや蓮の代弁者となっていた。
改めて彼は恐いな、と感じた。

「俺、おまえが恐い」
蓮は私の思考を代弁するように言う。

「誉め言葉として受け取っときます」
祐介は目を細めて指を振った。

***

その後、渚と美子も召集をかけて五人で集まった。
集合場所はもちろん、私の部屋だ。

蓮が留学のことを口にした瞬間、渚も美子も目を大きく開けて驚く。

「本当に蓮、留学しちゃうの?」
渚は困惑気味に問う。

「大学になってからでもできるんじゃないの~?」
美子も眉を下げて尋ねる。

蓮はしばらく黙り込んだ後、口を開く。