「正直今でも悩んでる。でも地元が遠くないのにわざわざ寮に入れてもらえたからな……だから、俺は行くよ」
蓮は力強く宣言する。
その声には決意が感じられ、私も祐介も無意識に口角が上がる。
「却下!」
「はい?」
突如、響いた声に目を丸くする。
声の発生源へ顔を向けると、渚が険しい顔で腕を組んでいた。
「ダメダメダメ。蓮はまだあたしのプログラムにもついてこれてないんだからサボっちゃダメだよ! それにまだあたし一度も蓮に大富豪で勝ててないんだから。わざわざ現地に行かなくてもリモートで留学すればいい!」
「無茶苦茶言うな」祐介が苦笑しながら突っ込む。
彼女の反応に、蓮も思わず笑みが零れる。
「渚って本当、徹底してるよな」蓮はくつくつ笑いながら言う。
「笑いごとじゃないわ! だって嫌なものは嫌なんだもん! それにあと二ヶ月しかないとか絶対絶対許さない」
「蓮を困らせるな」
祐介は渚を宥める。
渚はそんな彼に標的を変える。
「あんたもよ祐介。どうして重大なこと、あたしたちに隠していたのよ」
渚はキッと祐介を睨みながら迫る。
あまりにもデリケートな話題なだけに、私は顔面が蒼白になる。
「ちょっと渚……!」
「だってそうじゃない? 偶然とはいえ、あんなチャランポランは知っていたのにあたしたちには隠していたんだよ。本当、信用されてないのかなって思っちゃうじゃん。何より美子までも知らなかったなんてさ」
渚は悔しそうに顔面をくしゃくしゃにする。さすがの祐介も顔が引き攣る。
あまりにも直球な言葉に私と蓮は困惑した。
だが話題の人物、美子は普段通りにポヤンとした表情で練乳パンを齧っている。
「うん、びっくりしたよ~。でもね」
そう言うと、美子は手に持つパンを置き、隣に座る祐介の腕にぴったりとくっつく。
祐介は僅かに目を見開く。
「よく考えたらちょっと嬉しいんだ~。だって結婚だってできるんでしょ」
「ケッコン!」渚は奇声を発する。
「ダメダメダメ! 法律上は良くてもあたしが許可しません!」
「何で渚の許可がいるの~?これは美子たちの問題だよ。ね、お兄ちゃん」
美子は満面の笑みを祐介に向ける。祐介は冷や汗を流して答えない。
珍しく動揺している彼に、私はニヤケの隠さぬ顔を向ける。
「…………哀……何だよその顔」
祐介は引き攣った顔で私を睨む。
そんな彼にさらに頬が緩む。「何でもない」
***
「とりあえずこの二ヶ月間、とことんあたしのわがままに付き合ってもらうんだから覚悟しておきなさい! まずは大富豪。あたしが大富豪で上がれるまで眠れません!」
渚は妥協案と言わんばかりに提示する。
「理不尽すぎない?」私は苦笑する。
「だってあたし、前一度も大富豪になれなかったんだもん。悔しいじゃない」
「自分の実力不足に他人を巻き込むな」祐介も頭を振る。
「やだやだ! あたしだって大富豪になりたい」
渚は両手をジタバタさせる。
繰り広げられる彼女中心の会話が普段通りで、無意識に目が細くなる。
「渚!」
突如、焦燥気味な声と共にドアが開かれる。
ハッとして顔を向けると、そこには息を切らしたマネージャーが立っていた。
「リンくん、何で?」
渚は目を丸くして問う。
「何でじゃないだろ。おまえが連絡したんじゃないか。全く……何があったんだ」
マネージャーは汗を流しながら渚に近寄る。
厳格そうな印象を抱いていただけに、あまりにも必死な彼の姿に内心驚く。
それだけ渚のことを心配していたのだろうか。
「ちょっと構ってほしいなって思ったから連絡しただけだよ。そんな大げさな」
「は? こっちは打ち合わせ中だったんだぞ。俺はメル友か」
「メル友ってリンくん時代を感じる~」
渚は指を差して揶揄う。
そんな彼女にマネージャーはこめかみに血管が浮き上がる。
「……ちょっとこいつ、借りてもいいか?」
マネージャーは私たちに顔を向ける。
「あ、どうぞお好きに」
祐介は笑顔で手を差し出す。むしろ連れてってくれと言わんばかりだ。
マネージャーは軽く頭を下げると、渚の腕を掴む。
「何なに? リンくん恐い!」
「こっちは仕事なんだぞ。ひとまず説教だ」
「嫌だ~!」
渚は必死に抵抗するも、大の大人相手に力で敵うわけもなく、虚しく引き摺られていく。
私たちは呆気に取られていた。
「本当……台風みたいだなあいつって」
祐介がポツリと呟く。
「台風の目だね、悪い意味で」
私は補足する。
「台風の中心って風が静かっていうもんね~」
美子は能天気にパンを齧る。
「でも、退屈はしないな」
蓮は眩しそうに笑った。
天災というものは突然やってくるものだ。私たち人間には、到底読むことができない。
だが事前に進路を把握していれば、被害は最小で抑えることができる。「備えあれば憂いなし」というものだ。
変化が起きる際には必ず立場が歪む。不安定な地盤だったが、皆の晴れやかな笑顔からもかえって好転したのかもしれない。
雨上がりの空は、とてもきれいなものだ。
「雨降って地固まるってやつかな……」
予報士は基本的に晴れの顔を願っている。
いや私の場合、もう予報士とも観測者とも言えない。
だって、私も皆と同じ変化の激しい場所に立っているのだから。
***
「じゃ、また明日からは朝来いよ」
ごゆっくり、と祐介は意地悪く笑うと、美子と一緒に部屋を去った。
取り残された私と蓮は、茫然としていた。二人とも口を開こうとしない。
気まずい。
蓮と二人なんて今まで何度もあったはずなのに、今日は妙に胸の裏がこそばゆくなる。
視線が定まらず、天井を見上げたりしていた。
「哀」
唐突に名前が呼ばれて背筋が伸びる。
恐々顔を向けると、蓮が眉を下げてこちらを見ていた。
「そう身構えるな」
「…………気を付けろって言ったのは、蓮の方」
悶々としていると、頭にポンッと手が乗せられる。
「ちょっと蓮……」
顔を向けると、蓮はいつになく優しい顔で私を見ていた。
その目は、今まで見たこともなく穏やかで、私は胸が締めつけられた。
「ごめんな。それからありがとう。今はもう充分だよ」
「蓮……」
歯痒くなり、視線を逸らす。
蓮も手を下ろして首を掻く。
「でも、さすがに日本発つまでは無理かも」
「何が?」
私は混乱して問う。
蓮は「何でもない」と愉快そうに話を流した。
Day8 完