第二章『赤い虚構を想う空』②




ホームルームは、九月十日に行われる体育祭の出場種目を決める内容だった。
私たち三年生は、綱引き、クラス対抗リレー、応援合戦に出場する。
担任から話題が持ち上がった瞬間、辺りから嘆声が漏れた。

小学生の頃は燃え上がったものの、正直今では、体力を消耗するだけの面倒な行事に成り下がっている。
綱引きは全員参加なので、リレーと応援合戦に出場する選手を決めなければいけない。

リレーは必然的に運動部の人たちが推薦された為、特に時間をかけることなく決められた。ハヤミくんも出場するようだ。

だが、問題は応援合戦だ。

「特攻服みたいな学生服着るんだろ。暑そう」

「女子はチアだよな~あの服着るの恥ずかしい」

話題に移る前から、周囲から悲観的な声が上がる。こちらはリレーとは違い、運動神経の善し悪し関係がないので、全員が選手対象だ。
応援合戦は三学年合同の為、一年次から必然的に参加させられる。
生徒中心に創り上げるので、昼休みや放課後など、かなりの時間を費やす。特に三年生は下を引っ張らなければならないので、学年が上がるほど負担は増える。

「リョウヘイが、同じクラスだったらな……」

リョウヘイは、応援団の衣装着たさに、一年から応援合戦に出ていた。彼のような積極的な人物が、クラス内にいるかいないかの差はとても大きい。

去年は、結局ジャンケンで決まった。二年からクラス替えがないので、今年も時間がかかることは目に見えていた。

担任も、話題に移る前からあまりの人気のなさに溜息を吐く。

しかし、予想外のことが起こる。

「じゃあ次、応援合戦希望の人は―――」

担任が言い終わる前に、挙手した人物が現れ、全員釘付けになる。

モモヤマさんが、まっすぐ手を上げていた。

クラス中が、息を呑むのが伝わる。
モモヤマさんは、クラスではあまり目立たず大人しい。だからこそみんな不意を突かれた顔をしていた。特にハヤミくんは、人一倍目を丸くしている。

「えっと……モモヤマ、立候補でいいのか?」

担任も少したじろぎながら確認する。モモヤマさんは、無言でこくりと頷いた。黒板に彼女の名前が書かれる。
クラス中がひそひそ話す空気を感じるが、モモヤマさんは一切、気にする素振りはない。

「だったら、オレもやろうかな」

微妙な空気を打破したのは、ハヤミくんだった。彼は笑顔で挙手する。

「え、おまえ、リレーも出るのに大丈夫かよ」

「全然。むしろたくさん出たいし」

「暑い中、あの分厚い学生服着なきゃならねーんだぞ」

「あれ、かっこいいじゃん」

ハヤミくんは、次々飛んでくる質問に、爽やかに返す。
先ほどと空気がガラリと変わり、担任も安堵の息を吐く。黒板にハヤミくんの名前が書かれた。

「あと男女一人ずつだな。他に希望はいるか?」担任は教室内を見回す。

立候補者が現れるとは思わずに、ご機嫌なのだろう。この流れでサクッと決めたいといった空気を感じる。
しかし、ハヤミくんに続く者はおらず、誰も目を合わせようとしなかった。

その瞬間、モモヤマさんが私の方に振り返る。いつもの鋭い視線で、まるで立候補を促されているように捉えられた。え、私?

「これが終わったら、今日は終わりなんだけどな」

さっさと休みたいのだろう、担任は急かす。辺りでは、おまえがやれよと押しつける声が聞こえた。
モモヤマさんに視線を戻す。なおも彼女は私を見ていた。

私は悩む。正直やりたくない。ただでさえやることが多い中で、さらに負担を増やしたくない。モモヤマさんは、どういった心境で立候補したのだろうか。

彼女はいまだ私に視線を送るが、何も言わない。だが、立候補を促されているとは伝わる。パンをいただいたことからも、断るに断れなかった。

辺りがざわめく中、私はおずおずと手を上げた。その瞬間、クラス中からの視線を浴び、少し怖気つく。

「おお!風嶺やってくれるか」

担任は笑顔になり、私が返事をする前に黒板に「風嶺」と書いた。辺りからは、再びひそひそ話す声が聞こえた。

私とモモヤマさんが立候補するとは思っていなかったのだろう。それこそ、ナナミのような声の通る元気印の人に向いているものだ。しかし、後には引けなくなった。

「あとは、男一人だけだな。あと五分で立候補者がいなければジャンケンな」

担任は投げやりに言うと、椅子に深く腰かけた。男子の扱いがあまりにも雑だ。

これでよかった?とモモヤマさんへ顔を向けると、すでに前方を向いている。しかし、彼女の横顔は、どこか満足気に見えた。

結局、残り一人はジャンケンで決められ、軽音楽部の赤井 隼人(アカイ ハヤト)に決まった。彼は溜息を吐きながらも、ハヤミがいるなら別にいいか、と諦めていた。

無事、応援合戦のメンバーも決め終わり、ホームルームが終了する。

「あの、モモヤマさん」

私は、颯爽と教室を出ようとするモモヤマさんに声をかけた。彼女は無言で私に振り向く。

「きょ、今日暇だったりする?」

おそるおそる尋ねると、彼女は首を傾げた。暇かどうかは内容による、というものだろう。

「よければ駅前のワックにでも行かない?応援合戦のこと、少し話したいし……」

モモヤマさんはしばらく思案した後、小さくこくりと頷いた。断られるかと思ったので少し安堵する。

ハヤミくんを見ると、教壇で担任と話し合っている。
モモヤマさんとは講座で話してたとはいえ、二人で会うのは初めてだ。
そわそわした心持のまま、教室を後にする。

 

***

 

駅前のワックに辿り着くと、品を注文する為に順番に席を立った。
私が席に戻ると、モモヤマさんは少し驚いた顔になる。

「夕食、食べられる?」

「あ、えっと……むしろこれを夕食にしようかなって……」

私の持つトレーには、ハンバーガーとジュース、ポテト一式乗っていた。馴染みのフィッシュバーガーだ?優待が利用できないので、もちろんアプリクーポンを利用した。
モモヤマさんは、コーヒー一杯のみ注文して席に戻ってくる。私との差に少し恥ずかしくなった。

「モモヤマさんが、応援合戦に立候補するとは思わなかった」

ポテトをつまみながら、素直に思ったことを口にする。普段の彼女の振る舞いからは、想像ができなかったからだ。

モモヤマさんが口を噤んだことで気まずくなり、「あ、ポテト食べてもいいからね」とさり気なく勧める。

「……シュンの試合を観て」モモヤマさんは、ぽつりと呟く。

「ハヤミくんの試合?」

「何か、ひとつのことに取り組んでみるのも、いいかなって、思ってさ……」

私は目を丸くした。
モモヤマさんを見ると、表情に大きな変化はないものの、身を縮めて萎縮した様子だった。

「私、今まで部活とかもしたことなかったから。受験も終わったし、せっかくだから……」

モモヤマさんは、発言するごとに顔を下に傾け、言い終わる頃には完全に真下を向いていた。普段クールなだけに、彼女の緊張が感じられて新鮮だった。

メンバーを決める際、澄ました顔で挙手していたが、かなり勇気を出した行動だったに違いない。
モモヤマさんの人間味が感じられて、口角が上がる。

「確かに、気持ちはわかるよ。私もそれで国公立目指そうって思えたし」

試合を観に行った時に見かけたモモヤマさんを思い出す。あの頃の私は、モモヤマさんがハヤミくんのことを好きだと勘違いしていたが、私と同じく、彼女も球場の熱さを肌で実感していたんだ。

素直に共感したつもりだが、モモヤマさんから鋭い視線を向けられて、身体が強張る。
しかし、その目には恐縮の色が見られた。

「ごめんなさい……」

「え?」

「風嶺さん、受験で大変なのに、一人は少し怖くて……うまく、言葉で説明できなかったから」
モモヤマさんはたどたどしく言った。

確かにあの時は、モモヤマさんが何を考えているのか読めなかったが、今ではむしろ彼女が思い切って踏み出した一歩に協力できて、嬉しくなっていた。

「全然。バイトの時間を減らせばいいだけだし。それに、高校最後だしせっかくならね」

そう答えると、モモヤマさんは少し歯痒そうな表情を浮かべた。

「キミたち応援合戦に出るの?」

突如、降ってきた声に顔を上げると、シェイク片手に、にこにこ笑う細身の青年が立っていた。
明るい茶髪でゆるいパーマが当たり、ケガなのか左手に包帯が巻かれてる。
彼の姿に見覚えがあった。今朝、マルセンにつかまっていたジョウジマくんだ。

「キミたち三年生?」ジョウジマくんは笑顔で問う。

「は、はい……」

「何で敬語?オレと同じだよ」

「ジョウジマさん。早く話し合いをしますよ」

ジョウジマくんの隣にいる人物が急かす。メガネをかけて、第一ボタンまで留め、この暑い中ブレザーを着用してる堅苦しそうな人だ。名前は思い出せないが、確か生徒会長だったはずだ。
軽そうなジョウジマくんと、生真面目な生徒会長。とても奇妙な組み合わせに感じた。

「だって、この子たちも応援合戦出るみたいだからさ。挨拶は必要だよ」

「あなたの挨拶は、他の目的も感じます」

「ひどいなぁ〜」ジョウジマくんは肩を竦める。

生徒会長は辺りをキョロキョロ見回し、私たちの隣の四人がけテーブルにトレーを置く。コーヒーとポテト大袋が乗っている。
ジョウジマくんは、生徒会長の隣に腰を下ろした。遅れて、女の子二人がドリンクのみ注文して彼らの対面に座る。彼らも話し合いでここに来たようだ。
モモヤマさんとの交流を深める為に来たものの、一気に騒がしくなった。

「あ、オレB組の城島玲央。オレも応援合戦出ることになってさ」

ジョウジマくんは、話し合いそっちのけで私たちに話しかける。彼の後ろでは、生徒会長が目を三角にしている。女の子二人は、雑談中で特に気にする素振りはない。

意外だった。失礼ながらも彼のような軽そうな人が、面倒な応援合戦に出るように見えなかった。
だが、その理由もすぐにわかる。

「ホームルーム面倒でサボったらさ。何か押しつけられちゃって」
ジョウジマくんは頭を掻きながら苦笑する。

「ジョウジマさん!」

「別に、わざわざ放課後割いてまでする必要ないじゃん。スガちんがワック行きたかっただけでしょ~」

ジョウジマくんがケロッと口にすると、生徒会長が顔を真っ赤にして怒る。図星のようだ。

そんな生徒会長には気にも留めずに、ジョウジマくんはポテトをつまむと、再びこちらに向き直る。

「キミたちクラスは?」

「え、A組だよ」

「そっか!なら同じ組だね」ジョウジマくんは目を細めて笑う。

うちの学校は十クラス編成で、AとB、CとD、EとF、GとH、IとJで赤、青、黄、紫、緑に別れることになっていた。私たちのクラスは赤組だ。

「けが、してる」

モモヤマさんは、ジョウジマくんの左手を見て呟く。彼は意表を突かれた顔をして、自身の手に目を向けた。

「あぁこれ、そう。ちょっといざこざがあってさ。でも平気。骨折とかじゃないから全然動かせるし。心配してくれてありがとうね」

ジョウジマくんは、包帯で巻かれた手をにぎにぎして動かした。今朝、マルセンに言ってた彼女と別れたことが関係しているのかな、とふと思う。

モモヤマさんの視線に気づいたジョウジマくんは、にこっと笑って彼女に振り向く。

「キミも応援合戦に出るんだよね?」

「は、はぁ……」

モモヤマさんは、気の抜けた声で返事する。そんな彼女を見て、ジョウジマくんは苦笑した。

「もっと笑顔笑顔!キミ、素材がいいんだからもったいないよ」

ジョウジマくんは、自身の頬に指を差しながら笑顔を作る。モモヤマさんは目を白黒させた。

「せっかく参加するなら勝ちたいじゃん」

「自分のことは棚に上げて、ですか……?」

隣の生徒会長が、冷ややかな声で言った。ここまで来ると、もはや彼に同情する。

ジョウジマくんも、さすがに悪いと感じたのか、身を縮めてクラスの話し合いに参加した。

一気に力が抜けた。無神経にもほどがある。
モモヤマさんに顔を向けるが、彼女の反応に私は目を丸くする。

モモヤマさんは、俯いて頬を少し赤らめていた。

「えっと、モモヤマさん……?」

「あんなこと言われたの、初めて」モモヤマさんはポツリと呟いた。

「シュンもいつも気を遣ってくれるけど、こんなことは言わなかった」

ハヤミくんの気遣いは、彼女の不器用な一面をカバーして周囲に馴染ませるような優しさだ。対して、今のジョウジマくんの一言は、彼女自身に変化を促す言葉だった。

だが、彼女の様子が普段と違い、どこかソワソワした。

「モモヤマさん……」

「違う、少し驚いただけ」

「何も言ってないけど」

そう言うと、彼女はきっと睨むように私を見た。いや、まさかな。
彼女の新たな一面が見られて、新鮮だった。

 

***