1頁目「日常から非日常」➅



 惟月は、金清高校の制服を着ていたが、純粋な瞳にクセの無い髪、言動全てに気品が感じられ、同じ公立学校に通う生徒とは思えないほどの佇まいだった。その時点で、私の中では普段では感じられない小さな異変だった。

 だが、それだけではない。惟月は「一言の勇気をあげる」と言い、私に手を向けた。途端光が走り、目を開けたときには、彼がいなくなっていた。

 ささやかなようで、説明のできない現象だった。もしかしたらあの時、私に何かしたのだろうか。
 もしも、そうだとすればそれは――――。

「本音で話せる力…………?」

 そんなわけないと頭を振る。こんなにも非現実的なこと、ありえないはず。だが今日の私の発言も、信じがたいほどの非現実だった。むしろ何かが起こっていなければ納得できない。

 私は昨日、購入したオレンジ色のマスクに目を向ける。あの時の惟月は、厳密には私ではなく、このマスクの入った袋に手を向けていた。
 マスクを手に取り、確認する。違和感などはなく、いたって普通のマスクでしかない。

 溜息をつくと、ノートを閉じてベッドへ倒れこむ。布団を深くかぶるが、今日起こったことが延々頭の中で再生された。
 思ったことをそのまま口に出てしまう状態では、気が気でない。
  
「明日から、どうやって過ごそう……」

 以前使用していたマスクが数枚残っている。明日はそちらをつけていこう、と決め、就寝準備をはじめた。

***

 金曜日。今日は、以前使用していたマスクをつけていた。   

 惟月が妙な力を与えてくれたのでは、という実験的な気持ちだった。オレンジのマスクは、身につけるだけで明るくなれたように気分があがったが、それは錯覚ではなかったのかもしれない。

 だが一応、お守り代わりにオレンジ色のマスクも持参した。もしも昨日のように暁と話す機会が訪れた際、このマスクをつけていたらなんとなく話せる気がした。少なくとも普段の口下手な私よりはマシだ。

 私は、後方の教室扉を開く。いつものように、数人だけがポツポツと座っていた。イヤフォンをしてスマホを触る人ばかりで、皆、自分の世界へ引きこもっている。新学期からもうすぐ一カ月経つことで、いまではおなじみのメンバーだ。いつもと変わらない光景に内心安堵する。

 私は、自分の席へ向かった。窓の外では、登校する生徒が確認できる。その傍らに机がセットされ、そばに立つ生徒指導の教員がめざとく生徒を監視していた。

 今日は、制服チェックがあった。大抵新学期や休み明けに行われるものだが、たまに抜き打ちでも行われる。
 指導されるのは、頭髪とアクセサリーとネクタイの着用、そして女子は追加でスカート丈。パーカーは防寒着、Tシャツはインナー扱いされる。一応 地味目のカラーとは言われているが 案外目をつむられていた。引っかかると学年と名前が控えられ、繰り返し行われると指導が入る。それに内申点にも影響すると聞いたことがある。
 私は一度、頭髪で止められたことがあった。地毛ではあるものの周囲より明るい髪色なのでしかたないとは思う。怯えながらも説明して以降は、通過できるようになったが毎回一度は 厳しい視線が向けられるので少し苦手だった。

 ぼんやり眺めていると、生徒指導に引き止められた女子生徒組がいた。クラスメイトの真宵 茜(マヨイ アカネ)だった。

 頭上にひとつにまとめた髪型から活発さが表れ、男っぽくサバサバとした性格が女の私から見てもかっこいいと思える人物だ。テニス部で鍛えられた健康的な肌が、短いスカートからのぞいていた。恐らくそのスカート丈を指摘されたのだろう。

 案の定真宵は、ふくれっ面でスカート丈をもどしている。指導を受けているのは、真宵のみのようで、友人はやれやれと両手を広げていた。
 数分後、解放されたようで、真宵たちは校舎へと入った。

 会話は聞こえないものの、表情で彼女の感情が伝わるので人間観察が捗り、そのおかげで視線を教室内に戻したときには、暁を含めてすでに半数以上は登校していた。

 それと同時に、ガラリとドアが開き、ふてくされた表情で真宵が教室内に入ってきた。

「校門から見えないところに隠れやがって。白バイかよ」

 真宵は自分の席に辿り着くやいなやぼやく。男勝りな口調も彼女ならではだ。

「茜、またひっかかったのか」
 教壇前で友人と話していた暁は、呆れた顔をしながら反応した。

「休み前だから、調子乗っていないかのチェックだってよ。調子乗るだろ。つかこちとら遠征で休みなんてねぇよ」

 真宵は自分の座席にカバンを置くと、その場でブレザーのボタンを外し、スカートを折り始める。暁や近くの人たちは、苦笑しながら顔を逸らす。彼女の周囲の目を全く気にしない女子校でのような振る舞いはよく見るので、少し男子が気がかりだ。スカート丈は皆の視線から守る為でもあるのだが、真宵は気づいていない。

「なぁ、隠れるのはずるくないですか、って意見書だしてくれよ、日中」

 真宵は、慣れた手つきでスカート丈をもどすと、前座席の優等生である日中 陽(ヒナタ ヨウ)に絡んだ。日中は生徒会に所属しており、基本的に朝は遅めの登校だが、今日はいつもより早かったようで、タブレットを操作している。

「事前に予告してたら、対策されるからね」

 日中は、タブレットから視線をそらさないまま真顔で返す。彼は私と同じく、感情が表情に表れにくいタイプではあるが、空気感から「面倒くさい」と伝わった。
 さらりと返されたことで、真宵は顔を歪める。

「生徒の代表が、生徒会じゃねーのかよ」

「君の代弁者ではない」

「差別はいけないと思いまーす」

「そもそも君が、校則を守れば済む話だよ」

 正論に、真宵はぐうの音も出なくなり、頬を膨らませた。だが日中は、全く顔色変えずにタブレットを弄っていた。

 前の席ということもあり、日中がよく絡まれている姿を見る。

 真宵とは、二年生になってすぐ、メッセージアプリ内でクラス全体グループを作るからと連絡先を聞かれ、一度だけ接したことがあった。だが、暁たちとよく話したり、昨日の音読で自由奔放だったりと、接さずとも彼女の人となりは把握していた。
 彼女は学年でもハデだ。本心をそのまま口にする性格で、悪気がないとは感じるが接するのは正直恐く感じていた。

 冷静に彼らを観察していたと気づく。そのせいで昨日は暁と目が合ってしまったんだ。

 私は顔を下げて読書に戻った。

***