1頁目「日常から非日常」➆



 金曜日の午後は、ホームルームのみで終わる。担任が「席替えするぞ」と発したことで、教室内がざわついた。

 座席環境によって交友関係が左右される席替えは、生徒にとったら重大イベントだ。だが担任にとったら、ホームルームを埋める都合のいい時間つぶしでしかない。ただでさえ無人島であるのに、中央の席になると鎖国状態になるに決まっていた。

 担任が雑に作ったクジを、日付の出席番号の人から引き始めた。番号が記載されているが、まだ場所はわからない。全員がクジを引き終えると、視力の悪い人などが先頭座席となる。教師に見られやすい位置なだけに、反論するものはいない。
 次に担任が黒板に席を割り振り、番号を記入する。無責任な担任の背中を生徒たちは固唾をのんで見守った。

「じゃ 荷物持って 移動ー」

 担任のその声を合図に、皆が荷物を持って動き始める。そんな様子を茫然とした顔で眺めていた。
 黒板に顔を向けて改めて番号を確認するが、間違ってはいない。

 偶然なのか、私は今と変わらない座席だった。端が好きなので、正直このままでも問題ない。ただ懸念しているのは、周囲の環境だった。

 そんな不安を掻き消すように「あれ、小夜ちゃん」と明るい声が耳に届いた。
 振り向くと、荷物を持った暁が、私の近くまで来ていた。

「座席変わらないって運いいな! それに窓側だし。俺、名簿順だと大体一番目で廊下側だしさ」

 暁は、私の前座席に荷物を置く。その様子を、背筋を伸ばして眺めていた。
 どうしよう。こんなの絶対、話すことになる。

「お、璃空が隣か」

 聞きなれた声だと思ったら、真宵だったようだ。真宵は大量の教科書を持ち、大股でこちらまで近づくと、暁の隣に座った。彼女は近くの人によく絡むので、かなり不安になっていた。

 二人ともすごい量の荷物だな、置き勉するタイプなんだな、と眺めていると、カタンと物音が鳴る。気づけば私の隣に、日中が座っていた。

「おっ、また日中と一緒じゃーん。やっぱウチら 運命共同体だな!」

 真宵が、ニヤニヤした顔で日中を見る。不良が優等生に絡む図にしか見えない。だが日中は、彼女の視線を意に介さず、荷物を整頓する。偶然なのか、名簿順でも二人は前後だったなとボンヤリ思う。

「二人、1年からクラス一緒だったっけ」と暁。

「そうそう。しかも大体席前後なんだぜ。運命だろ」

 得意げな真宵とは対照的に日中の顔は険しくなる。どうやら彼は迷惑そうだ。

「そのおかげで補習も免れたしな。こいつ一年の時評定平均4.9だったんだぜ」

「すっげぇ!」
 暁は素直に感心した声をあげた。私も目を丸くした。

 評定平均は、五段階評価の平均値のため、ほぼ全ての教科が5なのだろう。真宵と日中の関係から、二人は一年生のときからクラスが一緒だったと伝わった。そしてうちは成績の公表を行っていないので、日中が彼女に言ったのか、あるいは真宵が偶然知ったか。おそらく後者だろうとは感じる。

 個人情報をいとも軽率に公にされたにも関わらず、日中は澄ました顔をしていた。

「じゃ、俺もテスト近くなったら陽に頼ろ」

「……オレが教えてるわけじゃないよ。この人が勝手にノート覗いてくるだけだから」笑顔の暁に、日中はよそよそしく答える。

 だが真宵は「でも何だかんだ見せてくれるからな」と得意げに指を振った。

 そんな光景を流れるように眺めていた。

 やっぱりみんな、すごくお喋りだ。そういや暁と真宵は仲良かったと思い出す。少し居づらい。これからこの環境で、大丈夫だろうか。

 皆が移動を終えると「じゃ、終了」と担任が言い、ホームルームが終了した。

「茜、行こう」

 クラスメイトの声に真宵は、「おう」と元気よく答えると、カバンとラケットケースを所持して教室を飛び出した。隣の日中も、生徒会の活動があるようで、颯爽と教室を出て行った。

「じゃ、小夜ちゃん」

 暁もカバンを持つ。予定があるのは、暁も同じだろう。彼の声に反応するように、軽く頷きながら手をあげた。

 そんな様子を、帰宅準備をしながらぼんやり眺めていた。

 彼らとはまともに話したことがなかったが、突然会話する環境に変わってしまった。あまりにも急な展開で、緊張が追いついていない。これが座席効果だろうか。

 今日は金曜日。普段なら直帰するが、今日は寄り道して帰ろうと教室を後にした。

***

 金曜日の午後だからか、街は普段よりも人が多い。曜日が違うだけで、こんなにも見え方が変わるものなのか。

 私は、自宅とは反対の道を歩いていた。
 目的地は、藍田川。そう、惟月に会いたかったのだ。

 惟月は、私と同じ高校の制服を着ていたが、学内で見かけたことがない。そもそも私が廊下を歩いて、他の教室まで向かう勇気がないというのもあるが、なぜか学校よりも川で会えるような気がしていた。根拠のないただの直感だった。

 川に辿り着き、河川敷に下りる。今日はあいにくの曇天で、水曜日よりも早い時間に訪れたにも関わらず暗く感じた。風も強く、少し肌寒い。

 周囲を見回す。惟月は、いない。
 河川敷から土手を見上げる。惟月が最初に現れた場所だ。だが、惟月が現れる気配はしなかった。

 私は、いつものベンチに腰を下ろす。マスクを外し、茫然と辺りを眺める。  
 天気が優れないからか、川で自由時間を過ごすものは、あまり見られない。

 夕方までここにいよう、と私は読書用の本を取り出した。

***

 西の空に夕日が傾いている。頭上は橙色に染まり、間もなく夜が訪れそうだった。

 結局その日は、惟月が現れることはなかった。

 私は小さく溜息をつき、本をカバンにしまう。
 惟月に尋ねたいことがあった。自分で言うのもなんだが、会話を避ける私が質問したいと思うなんて、かなり珍しいことだ。
 先日出会ったのは、水曜日。来週の水曜日に、またここへ来たら、会えるだろうか。
 
 そんなことをぼんやり考えながら、ベンチから腰を上げると、ふわふわと何かが舞っているのが目に入る。

 羽だ。汚れもなく真っ白なものだ。夕日に照らされて少し橙色に染まっている。まるで雪のような純白に、思わず手を伸ばしていた。

『また、水曜日』

 その瞬間、そう聞こえた。誰に向けての言葉かわからないのに、それが私に向けてへの言伝だと、なぜか確信した。

「……うん、また来週ここに来るよ」

 どこともなく頷くと、帰宅路を歩んだ。

 昨日から突飛なことばかりが起こる。こんなこと、今までの日常ではありえないことだ。それに本心が丸見えのようで正直恐い。

 だがいつもの日常ではない非日常に、どこか浮き立っている自分もいた。

 

1頁目「日常から非日常」完