ヘアピンを二本、無事につけ終えると、おそるおそる「これで、大丈夫?」と問う。その言葉で暁は顔をあげる。
「どう、かっこいい?」
暁は、顎に手を当ててキメ顔をする。昨日の発言を掘り返されているように感じ、一瞬で顔面が赤くなった。
「は、はい……」
微妙な距離感で反応した私に、暁は軽く笑うと、首を横に振って確かめる。
「ヘアピンって使ったことなかったけどいいね。ありがとう。今日、借りてていい?」
「はい」
「さっきから、何で敬語?」
ははっと、暁は目を細めて笑うと、何事もなかったかのように、ノートの筆記に戻った。
そんな暁を、マスクの下で少し頬を膨らませながら見つめる。
昨日、あんなこと言われて自分に気があるかもしれない女子相手に、よくやるものだ。だが、きっと暁は無意識だ。あまりにも自然な振る舞いで流されそうになる。だから絶対、勘違いする女子はいる。少なくとも、男子に免疫のない私にとったら難易度の高い行動だった。
ガラッとドアが開くたびに、「はよ」と暁が挨拶する。時計を見ると七時五十分を差しそうで、早朝組の登校が始まっていた。
暁は男女ともに人気がある。私みたいな目立たない人が関わっているだけで嫌な気分になる人もいるはずだ。特に女子はその辺りが敏感だ。モブはモブらしく、適切な距離感を心がけなければいけない。
だが、先ほどの時間だけは、私だけのものにしたかった。
次第に教室内は、騒がしくなる。ガラリと大きく扉が開くと、真宵が大股でこちらまでやってきた。
「おっす!」
真宵が、大きく溜息をつきながらドカッと机にカバンを置く。妙に得意げだ。
彼女の姿に違和感を抱くが、スカート丈は長かった。生徒指導の先生が準備をしていたので、今日も制服チェックがあったのだろう。
「今日も、ご苦労さん」
暁は、ノートに視線を向けたまま、適当にねぎらいの言葉をかける。
「フン。なんども説経くらってられるかって」
そう言うと、真宵はこちらにサムズアップする。「今日は、学校入る前に丈もどして、胸張って入ってやったよ」
頑張りどころがずれている気がするが、彼女は誇らしげだ。スカート丈の長い彼女は違和感があるので、やはり個性のある着こなしは重要かもしれない。
よっと、真宵はブレザーのボタンを外すと、スカートに手をかける。何を行うのか察した周囲の人たちは、引きつった顔で視線をそらす。そんな気遣いにも気づいてる様子はない。ある意味彼女が、このクラスで一番強いのかもしれない。
そんなことを考えていると「小夜ちゃん、いいか」と、急に名指しされ、心臓が掴まれる感覚になった。
「スカートって、外に折る人が多いだろ。だけど内側に折るとプリーツが崩れないんだ。これ、裏ワザな」
そう言いながら、真宵は慣れた手つきで内側にクルクル三回折った。「金あったらベルトがイチバンだけどよ」
「小夜ちゃんを不良に染めないでくれる?」
暁は、怪訝な顔で反応する。
「不良じゃなくて、ギャルな」
真宵はちっちと指を振る。
「小夜ちゃんみたいなキレイ系の人が折るギャップがいいんじゃないの。せっかく制服かわいいんだし、放課後、一段だけでも短くすんとテンションあがんぜ」
「女子って強いよね」と暁は苦笑する。
「女子高生って、最強のステータスだろ?」
真宵は、至極当然のように答えた。
真宵さんは強い人だ。気さくに話しかけてくれたのかもしれないが、やはり少し怖く感じてしまった。
学校のベルが鳴る。先生が入ってくると同時に皆着席を始めた。
***
今日は三、四時間目が体育だった。公立でお金がないのか不明だが、この学校には更衣室がひとつしかなく、基本的に男子が利用する。そのため、女子は教室で着替えることになる。
噂では更衣室は掃除がいき届いておらず、エアコンもなく、気休めの扇風機しかないらしい。その点から着替えの早い男子が利用すると決まったのかもしれないが、それにしてはあまりにも扱いが雑だ。
「小夜ちゃんって、ハーフかクォーター?」
休憩時間の着替え中、突如真宵に声をかけられた。彼女は髪を束ね直しながらこちらを向く。
気が抜けていたが、私は慌ててマスクをつけ直す。
「えっと、たしか身内にひとり、海外の人がいて……」
「やっぱそうなんか。髪も染めてないんだよな?」
「う、うん。地毛だよ」
私は、何気なく髪に触れる。
「羨まし〜。でも、制服チェックのとき引っかからねぇ?」
真宵は素朴に問う。そういえば一年生の頃に、一度声をかけられたことがあったが、今と同じ説明をすると把握してくれたようで、それ以降はなにも触れられることはなかった。
「一年生の時に一度。でも把握してくれてるみたい」
「やっぱな。小夜ちゃんみたいなタイプがグレるわけねぇってのに、ほんとあいつらめざといから」
真宵はブツブツ言う。かなり根に持つタイプのようだ。
ハーフか、とは過去にも数回、尋ねられたことがある。直接問われなくても、そう言った扱いを受けることがあった。そのことから私自身も髪色や目の色素が周囲の人よりも薄いと実感するようになり、母に尋ねると身内にひとり海外の人がいると話を聞いた。だが、血筋的には結構離れているらしく、また他県で会う機会もないので、正直私も詳しくは知らなかった。
「や、やっぱり私って、浮いてるのかな……?」
気づけば尋ねていた。予想外の質問だったのか、真宵は着替えの手を止めて「浮いてる?」とキョトンとした顔をこちらに向ける。
「だって、皆と少し、違うから……」
一言の勇気を得てもなお、声が小さくなった。こんなこと誰かに問うのは初めてだった。
周囲とは少し違う容姿だからか、近寄りがたい空気が出ているのかもしれないと昔から気にはなっていた。それに私自身は、異国にすら行ったことのない日本生まれ日本育ちなので、容姿について触れられるのは正直苦手だった。
「小夜ちゃんの髪色、すげーキレイで良いなって思っただけだよ」
真宵は即答する。「あと、ちょっと羨ましい」
「羨ましい?」今度は私が、不意を突かれた。
「地毛だろうなって思ってたから。髪が明るいと、オシャレしがいがあんだろ。でも校則でカラーリングはできねぇし……」
そこまで言うと、あっと真宵はやりずらそうに、天井を見上げる。
「なんかごめん。ウチ、気になったらすぐ聞きたくなってしまって。イヤな気持ちにさせてたら」
真宵は、たどたどしく弁解する。思いついた言葉を並べているようにも思え、その不器用さが逆に真宵らしさを感じた。
怒っているように見えてしまったのかもしれない。私こそ申し訳ない気持ちになった。
「全然……! むしろキレイって言ってくれて、嬉しい」
「ほんと、まじで羨ましいから」
真宵は、かっかと満足気に笑いながらジャージを羽織る。
「実はウチ、小夜ちゃんのこと一年から知ってたんだぜ。廊下で見て美人がいるなって。だから一緒のクラスになった時、友だちに自慢してやった。連絡先聞いたのも小夜ちゃんが一番だし!」
予想外の言葉に頬が赤くなる。真宵さんに知ってもらえていたことに歯痒い気持ちになった。
「やべ、話してたらあと二分じゃん。走るよ」
真宵はそう言うと、こちらに拳を見せた。私はつられるように頷くと、水筒を所持し、慌てて教室を出た。
前を走る真宵は、大きめのジャージでくるぶしの辺りをまくり上げ、オシャレとは言えない体育のジャージすらも彼女色に着こなしている。テニス部であるからか、運動着姿がとても似合っていた。
離れたところから観察していたときと変わらない、裏表のないかっこいい人だと感じた。
高望みかもしれないが、彼女と友だちになりたい。そのためにも、相槌だけでなく、こちらからも話題を出さなければ。
自分から話題を出すのは、かなり難易度の高い技だが、いまの私にはマスクがある。
その日の体育の授業は、どんな話題で話しかけるか、そんなことばかり考えていた。
***