時刻は、午前八時十分。
莉世は、重い足取りで学校へ向かう。今日は、悪夢を見なかったことで寝覚めはよかった。だが、気分は憂鬱だった。
昨日は、東や西久保の誘いを断れずに神隠しの噂を確かめに行くことになった。そして実際、山中に迷い込み、結果鬼に遭遇した。
その時の光景が、つい先日見た「悪夢」の内容と一致していた。
昨日だけじゃない。今までも悪夢と同じことが起こることは度々あった。白髪の青年の言葉通りならば、今まで「悪夢」だと思っていたものは、実際は「未来」だったことになる。
もしも、あの白髪の青年の言うように、自分に未来を視る能力があるのならば。
「って、何考えてるんだろう……」
莉世は、額を抑える。そんな突飛な能力を所持しているなんて信じられるわけがない。
クラクションの音に肩を飛び上がらせる。飛び跳ねるように身体を避けると、車は勢いよく通り過ぎる。
考えごとに気を取られてしまっていた。通り過ぎる車に軽く頭を下げた。
そこで、ふと思う。
今まで見ていた悪夢が、今後起こる未来だったなら。
私は今、どうして無事なのだろうか。
「そうだよ……そうだよね。だって、いつも危ない目に遭っているのに……」
妙に安堵する。夢で未来を見る能力なんて、あるわけがないのだから。
【2時間目:国語】
足取りが重かったせいで、学校に辿り着くのに時間がかかった。時間ギリギリに登校する人が多いのか、校門周辺は普段よりも賑やかに感じる。そんな彼らを避けるように、莉世は下駄箱へ向かう。
上履きに履き替えながら思案する。昨日の今日だ。恐らく東も西久保も、昨日に凝りてしばらく下手な行動はしないはずだ。
教室ドアを開ける。教壇を中心に人が集まっていた。窓側席の北条だけは、普段のように外を見ている。
恐る恐る脇を抜けようとするが、「あ、莉世ちゃん、来た!」と活発な声が耳に飛び込んだ。この声は西久保だ。
教壇に振り向くと、周囲の人たちはこちらを見ていた。突然の注目に、身を縮める。
「お、良いところに来たな、南の南雲」
教壇に腰掛けている東は、元気よく手を上げる。
「良いところ……?」
「昨日、あの神社に、鬼が出たの?」
クラスメイトの問いに頬が引き攣る。
おずおず東と西久保に顔を向けると、東は困惑したような、西久保は同意を求めるような強い目をする。
「こいつら。昨日から鬼って言うけど、何のことなんだよ。南の南雲も鬼を見たのか? それに結局、神隠しにも遭わなかったじゃねぇか」東は腕を組んで問う。
「え、それは……」
「猿、ずっとこんな調子でさ。あたしなんて、身体を掴まれたのに、ずっと木に登っていたろってバカにするんだよ」西久保は息巻いて説明する。
「だって、鬼とか架空の存在じゃねぇか」
「だから、それがいたんだって」一緒にいた子は言う。
「でも神隠しに遭ってたら、帰ってこれないでしょ」
「それ、本当やばかったんだよ。でもね、ヒーローが現れたんだ」昨日一緒にいた女の子は手を組んで言う。
「和奏ちゃんなんて、お姫様抱っこされたもんね~」
友人の言葉に、「何その話、詳しく!」とクラスの女の子は乗り気に問う。盛り上がる女子たちを、男子たちは軽蔑した目で見る。
莉世は、無意識に窓側の席へ顔を向ける。しかし関心がないのか、北条はこちらを見ようともせずに外を見ていた。
もしかして北条は、鬼が現れるとわかっていたから忠告したのだろうか。
未来を視る力なんてない、と否定してほしい感情があったのかもしれない。気付けば席から腰を浮かし、北条の席へ向かっていた。
北条は莉世に気づくと、無言でこちらを向く。長い睫毛に、キューティクルの輝く黒髪、目を奪われるほどに美形の顔立ちだった。再び彼の顔に見惚れていたと気付き、慌てて頭を振る。
「ね、ねぇ、北条くん……昨日、私たちに忠告したでしょ。それって北条くんも、あの神社に鬼が出るってわかっていたの?」
単刀直入に尋ねる。しかし北条は、数秒静止すると、軽く首を傾げる。
「僕も?」
「あっ」
慌てて手で口を覆う。「いや、違う、今のは……」
まごまごする莉世を北条は感情の欠落した目で見る。
「忠告を無視して物の怪に近づいたんだ。助かっただけ運が良かったと思うべきだ」
「ご、ごめんなさい……」
反射的に謝る。しかし北条は、無言で再び窓に顔を戻した。
言葉を探していたが、ふと彼の姿に既視感を感じた。
「ね、ねぇ……」
口を開こうとした瞬間、ベルが鳴った。クラスメイトも自分の席へ戻る。莉世もしぶしぶ、席へと戻った。
再び北条を一瞥する。昨日見た狐面の少年と被った。
「いや、そんなわけないし……」
これは幻覚だ。莉世は目を擦って授業の準備を開始した。
☆☆☆