「じゃ、また明日」
神社を後にし、曲がり角で東と西久保とも解散となる。互いに手を振ると、自宅へと歩き始めた。
赤い夕日が頭上を照らす。日は西に深く沈み、もう数分後には夜が訪れそうだった。雲にできた黒い影が、昼間とは違うこの街の顔を見せた。
ふと、振り返る。少し離れたこの場でも目立つ朱塗りの鳥居の下に、白髪の青年が立っていた。
「あなた…………」
莉世は、駆け足で神社へ戻る。白髪の青年は柔和な笑顔で迎える。
「よく、お気づきで」
「あなたの気配がしたんです」
「それは、夢で視たのでしょうか」
白髪の青年は、表情を崩さぬまま言う。しかし莉世は、視線を険しくする。
「あなたは一体、何者なんですか……?」
訝し気に問う。彼の言葉で今日一日悩まされていたのだから八つ当たりでもあった。
警戒心丸出しの莉世に、白髪の青年は肩を竦める。
「そんなに警戒しなくてもいいじゃないですか。一年前のあなたは、夢中でホタルを追うほどに無邪気だったというのに」
「この一年、色々ありましたから」
莉世は、彼から視線を逸らすことなく答える。
白髪の青年はゆっくりと近づく。莉世は無意識に後ずさる。
「昨日言ったことは、あなたを守るための言葉なんです。私はあなたの味方ですよ」
「知らない大人の言葉は信じないように、と躾けられているので」
内心信じたくないという感情がこもっていた。突飛な言葉でも悩まされ、信じてしまいそうになる幼い自分が嫌になる。
「さすが、お父様だ」白髪の青年は軽く頷く。
「パパを、知っているの?」莉世は目を見開く。
「そりゃあもう……深くて濃くて、子どものあなたにお教えするのは憚られる関係ですね」
「パパに危ない人だ、って伝えておく」
「冗談ですってば」
白髪の青年は、くつくつ笑う。莉世は、普通に引いていた。
だが白髪の青年は、表情を一変させて莉世を見る。空気の変化に、瞬時に警戒した。
「キミは、この街に棲みつく物の怪は、この神社にある『呪石』が割れたことが原因だとは聞いたかな」
「は、はい……」不意打ちの問いかけに目を丸くする。
「その呪石を浄化するには、呪石に引き起こされた物の怪を浄化して妖力を削る必要がある。そうしなければ、次第にこの街は物の怪に支配されてしまう」
先ほど北条の口にしたことと同じ内容だった。
「さっき、ここの神社に住んでいる子が言ってました……」
「蒼は仕事が速い」
青年は納得するように笑い、再び視線を莉世に戻す。
「しかし残念なことに、物の怪を浄化できる人間は、この街に一人しかいない。……いや、厳密には他にもいるが、今はまだカウントしないとして。そして虹ノ宮市はとても広いんだ。到底一人では限界がある」
そう言うと、青年はこつこつと下駄を鳴らして莉世に近づく。莉世は、警戒を解いて彼を見る。
「キミの力を貸してほしい」
「私の、力…………」
「何をしているんだ、莉世」
聞き慣れた声が届き、正気に戻る。
慌てて振り返ると、そこには久しぶりに見る父親の姿があった。
「パパ?」
「莉世、学校お疲れ様」
莉世の父親は、顔を緩めて声をかける。スーツの上着を腕にかけ、鞄を所持している。その姿はまさに会社帰りのサラリーマンだった。
「パパ、何でここに」
「日が暮れる前に家に帰りなさいと言っただろう」
父親は、莉世の手を取る。「さぁ、帰ろう」
しかし、莉世は白髪の青年から目が離せない。
「莉世?」
父親は不安気に声をかける。白髪の青年は、目を細めて莉世を見る。
「パパ、この人知ってるの?」
莉世の言葉に父親は数秒考え込むも、「いや、知らない」と小さく答える。
父親の反応に、白髪の青年は肩を竦める。
「あなたのお気持ちはわかります。しかし、何度も言いますが」
「もう聞き飽きたよ」
父親は、力なく笑って言葉を遮ると、莉世の手を引いて歩き始める。
この場を離れたい父親の意志が手から伝わったことから、莉世も渋々前を向いた。
「本当に、そっくりですねぇ……」
白髪の青年は、観念したように首を振る。
「えぇ、わかっていましたよ。こうなる現実を見ましたから……しかし、意外と私も負けず嫌いなんですよ」
白髪の青年は顔を上げる。すでに日は落ち、暮色蒼然の空となった。
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