3時間目:地理1



テストも終了し、皆本格的に浄化に臨む心持になった。とはいうものの、基本的に莉世が悪夢を見ることで活動は始まる。その為、夢を見ていない間は普段と変わらない毎日を送った。

今日も、放課後の特訓を終え、神社を後にする。

「北条ってよ、現場じゃ何の役目になるんだ?」

前を歩く東は、藪から棒に問う。莉世と西久保は、ぽかんと口を開ける。

「南の南雲は物の怪の行動が読めるし、ヤマンバは浄化ができるだろ。俺はいわば切り込み隊長だ。でも北条って、前に怪異を封印した時も一人だけ逃げてたじゃねぇか」

「北条くんは、私たちのリーダーじゃ」莉世は言う。

「リーダーの座を譲った覚えはないぞ」東は唇を突き出す。

「北条くんは鬼神が扱えるじゃん」西久保も答える。

「神社離れてまでは扱えねぇじゃん」

東は納得できないように首を捻る。

「あんたねぇ……あたしたちが物の怪と戦えるようになったのは、北条のおかげでしょ。それだけでも充分じゃん」

西久保は呆れた顔で言う。「それに、危なくなったらあの狐くんが来てくれるし」

「確かに、毎回来てくれるよね」

「あいつ、ほんと何なんだよ」

東は、先ほどよりも顔を歪めてふてくされる。道端の小石を力強く蹴り、カラカラ転がりながら畑へと消えていった。

「神隠しの時も病院の時も、北条いなかったよね」

西久保は、愉快気に顎に手を当てる。「もしかして、北条があの狐の人だったりして」

「そんなわけねぇだろ。狐野郎の動きはどう見ても人間じゃねぇよ」

「でもあんたが見えてんだから、怪異ではないでしょ」

西久保の返答に、東と莉世はキョトンとする。

「そういえば、そうだな」

東は納得するが、すぐに顔を歪める。

「いやいや、そのほうが意味わかんねぇし。じゃ、あいつは何なんだよ」

その問いに答えられるものは、誰もいなかった。

【3時間目:地理】

時刻は、午後五時三十分。

放課後、藍河稲荷神社境内で普段通りに特訓を行う。

「あの猿はもしかしたら、霊感のないただの能天気じゃないのかもしれないな」

そう言ったのは、琥珀色の髪をした北条家に仕える鬼神、松風だった。目線は、目前で特訓中の東と左門を捉えている。建物の縁側に座り、褒美の林檎を齧る。カリリッと心地良い音が鳴った。

「どういう意味?」

同じく縁側に座っている西久保は問う。

「本当に霊感がないだけなら、我々の攻撃を全て避けることはできないはずだ」

そう答えたのは、剣道の防具を身に着け、頭に角の生えた鬼神、日向。

「確かに、東くんは一度も怪我してないですよね」

莉世は日向に同調する。

「あぁ。あいつが勝手に転んだりしたのはともかく、オレたちの攻撃全部読んで反応してる。いや、元々怪我させんなとは蒼に言われてるけどよ、それでもあの乱丸の攻撃も全部躱してたんだろ」

「うんうん。それであの気性の荒い鬼神さん暴れそうになって、最後は強制的に北条に札に戻されてた」西久保は笑う。

「というかあいつ、乱丸も使ったんだな……」

日向は、端で東と左門を見ている北条を一瞥する。

「な。蒼、結構容赦ないよな」

松風は、ははっと楽しそうに笑った。

特訓を始めて一ヶ月以上経った今、北条家に仕える鬼神たちともすっかり打ち解けていた。特に、風使いの松風と聖職の日向は、まるで人間の友人のように親しみやすい。今は、関係者のみ入れる境内の拝殿隅の縁側で各々休憩していた。

「でも、オレらの声は聞こえてないみたいだし、見えてないのはマジなんだと思うぜ」

「そうだな。だからこそ、こうは思えんか」

日向はそう言うと、指を立てる。

「あの猿は、『怪異の影響を受けない身体』なのかもしれん」

「怪異の影響を……」莉世は目を丸くする。

「あ、でも確かに前も、猿だけ神隠しに遭ってないような感じだったよね」と西久保。

「あぁ。だから、我々人間を超えた存在の声は聞こえず、攻撃も躱す……いや、攻撃が『当たらない』と考える方が良いかもしれん」

「へ~、そんな体質あるんかぁ」

松風は、楽しそうに頭の後ろで手を組む。

「でも……その体質は、物の怪を殴ることはできるんですか?」莉世は、やりずらそうに問う。

「物の怪を殴る?」日向は怪訝な顔になる。

「うんうん。前に猿が物の怪の場所を察知して腕で殴ったの」と腕を振って説明する西久保。

「ははっ、あいつの野生の勘すごいな~」

松風は軽快に林檎を齧りながら言う。日向は顎に手を当て思案する。

「怪異の影響を受けないのに攻撃はできるとか……そんなのあいつ、最強過ぎない?」

「あぁ。もしその体質が本当ならば、彼はかなり貴重な人物になるに違いない」

日向も、東を見ながら言う。「だが、あいつ自身に、このことは言わない方が良いだろう」

「だね。言ったら絶対調子乗るし」

皆で視線を送り過ぎたのか、東は気配を察知したようにこちらに顔を向ける。

四人は各々目を泳がすが東はずかずかこちらに歩く。

「オイ、松風! そこにいるんだろ!」

「えっ、ウッソ、バレた?」

林檎を齧っていた松風は、若干むせながら肩を飛び上がらせる。背中の翼も毛羽立った。

「俺が見えてねぇからってサボってんじゃねぇぞ。おまえの『風』が全く来ねぇからわかんだ!」

「松風さん。もう誤魔化すのも、そろそろ限界ッス」

東の相手をしていた左門は、申し訳なさそうに片手を掲げる。

「松風……おまえ、左門に面倒事を押し付けるな」日向は睨む。

「ははっ、悪い悪い。すぐ行くから」

松風は、残った林檎を口に放り込むと、バサッと翼を広げて東の元へ飛び立った。

東は、「お、ちゃんと来やがったな」と本当に見えてないのか疑うタイミングで言葉を発する。

「なんかこう見ると、鬼神さんたちって人間と変わんないよね〜」

西久保は、松風の背中を見ながらしみじみ言う。莉世も頷く。

「人間以外は怪異、だなんて括りになってるけどさ、神隠しの鬼とか病院の女の子と全然違って、外見も内面も人間っぽいっていうか。松風っちなんて特に人間味ありすぎっしょ〜」

「まぁ、我々も元は人間だったからな」

「やっぱそうなんだ〜、て、え?」

西久保と莉世は日向を見る。「に、人間だった?」

「そのままの意味だ。北条家に仕える我々鬼神十二人共、全員昔は人間だった。あそこにいる松風も左門も、そして操も乱丸も、な」

日向は、目前で東の相手をする松風と左門を見ながら説明する。その声はとても冷静だった。

莉世と西久保は、目を白黒させる。

「えっと……聞き辛いんですが、『だった』ってことは、今は違うんですよね」

「そうだな。翼や角の生えた人間はいないだろう」

「そうだけど……」

西久保は髪を弄りながら日向を窺う。「ど、どうして日向っちたち、人間やめたの?」

「その言い方……」莉世は苦笑する。

日向は、過去を思い出すように目を細める。緩やかな風が彼女の赤髪を揺らす。

「人間としての役目を終えたからだな」

そう言うと、日向は立ち上がり、颯爽と社の中へと歩く。二人は、顔を見合わせながら彼女の後に続く。

社の戸が開かれると、そこには禍々しいオーラを放つ石が鎮座していた。部屋内に御札が張り巡らされ、石自体も鎖で頑丈に固定されている。

そんな石は、縦に大きくヒビが入っていた。

ただのヒビの入った石にも関わらず、莉世たちは息の詰まる思いになっていた。鼓動が速くなる。それほどまでに胸を圧迫する威圧感があった。

この石が、噂の『呪石』だとはひと目で感じ取れた。



「この石って……」

「環の封印されている『呪石』だ」日向は答える。

「環って、昔この街で悪さをした妖狐、ですよね……?」

莉世は問う。

「あぁ。もはや『悪さ』という可愛げのあるレベルではないがな」

日向は苦笑するが、すぐに咳払いすると険しい表情になる。

「我々皆、ここに封印されている『環』に殺されたんだ」

一瞬、呼吸が止まった。それは西久保も同じらしく、軽く口を開けて静止していた。

日向は、過去を思い出すように目を細める。

「もう随分と昔の話だが……我々は全員、物の怪を浄化する力のある人間だった。虹ノ宮の自警団として、一応名は知られていたんだ。だが、頭首を担っていた一番力のあった人物が、私に座を譲り渡した直後に環の暴動が起こった。……私の力不足だった」

日向の言葉には、怒りや後悔は感じられず、むしろ懐かしさすら滲んでいた。だが、責任感の強い性格なのだろう。頭首であった責任は今でも痛く感じられる。

そんな日向を、莉世と西久保はただ見つめる。

「ホタルの数だけの命が奪われたって聞いてるよ。それだけ環は危ない存在だったんだよね。日向っちのせいじゃないよ」西久保は言葉を探りながら言う。

「そ、そうです……それに今は……」

と、ここまで発して口籠る。人間ではなくなったのに「今でも生きている」だなんて言葉、軽々しく言えなかった。

黙り込んだ莉世を日向は一瞥すると、小さく笑う。

「そうだな。一応こうして、鬼神として生きられている。神になって便利なのは、食事や睡眠が不要なことだな。歳もとらなければ、法律や規律といったルールもない。案外、神の方が気楽なのかもしれないぞ」

日向は赤髪から覗く大きな牛の角を触りながら言う。

「ただ、ひとつ気がかりなことは……鬼神になったことで、物の怪を浄化する力を失ってしまったことだ。まぁ、『怪異』という存在であるだけ致し方ないのだが。浄化できるものが急激に減ったことで、残された者に負担をかけることになっている」

この街に浄化のできるものは一人しかいない、と言った白髪の青年の言葉を思い出す。

莉世は唾を飲み込む。そのものこそが、莉世の父親なのだから。

「浄化はできない代わりに、人類を超越した力を与えられた。それらでおまえたちを補佐することはできる」

日向は、目前の呪石に強い視線を向ける。

「人間ではなくなったが、我々はおまえたちの味方だ。それに環を恨んでいるのは変わらない」

低く、重たい声で言い放つ。

「あたしたちにできることは、何でもやるよ!」

西久保も強い声で返答する。

「わ、私も……未来を視ることしかできませんが……」

莉世も応える。

日向は莉世に振り向く。突如視線が合ったことで反射的にたじろぐ。

日向は女性でありながらも百八十センチは超える大柄で、目も鋭く洗練されたスタイルから、目が合うだけで気迫に呑まれそうになる。

思考が止まっていたが、じっと見つめられていると気付き、軽く首を傾げる。

「…………頼りになるぞ」

少し間を置き、日向は答えた。何か言われると思っていただけに気が抜ける。

「というか、この石、あたしたちが見ても良いの?」

西久保は思い出したように問う。確かに何度も来ているにも関わらず、呪石を見せてもらったのは初めてだった。

「あぁ。私がついている。問題ない」

日向は即答する。「例え何かあろうが、身を挺して守るさ」

「か、かっこいい……」

「日向っち、惚れそう〜」

莉世と西久保は、日向の男気に目が眩んでいた。

ゴーンと六時を示す鐘が鳴ったことで、本日の特訓は終了した。

☆☆☆