テストも終了し、皆本格的に浄化に臨む心持になった。とはいうものの、基本的に莉世が悪夢を見ることで活動は始まる。その為、夢を見ていない間は普段と変わらない毎日を送った。
今日も、放課後の特訓を終え、神社を後にする。
「北条ってよ、現場じゃ何の役目になるんだ?」
前を歩く東は、藪から棒に問う。莉世と西久保は、ぽかんと口を開ける。
「南の南雲は物の怪の行動が読めるし、ヤマンバは浄化ができるだろ。俺はいわば切り込み隊長だ。でも北条って、前に怪異を封印した時も一人だけ逃げてたじゃねぇか」
「北条くんは、私たちのリーダーじゃ」莉世は言う。
「リーダーの座を譲った覚えはないぞ」東は唇を突き出す。
「北条くんは鬼神が扱えるじゃん」西久保も答える。
「神社離れてまでは扱えねぇじゃん」
東は納得できないように首を捻る。
「あんたねぇ……あたしたちが物の怪と戦えるようになったのは、北条のおかげでしょ。それだけでも充分じゃん」
西久保は呆れた顔で言う。「それに、危なくなったらあの狐くんが来てくれるし」
「確かに、毎回来てくれるよね」
「あいつ、ほんと何なんだよ」
東は、先ほどよりも顔を歪めてふてくされる。道端の小石を力強く蹴り、カラカラ転がりながら畑へと消えていった。
「神隠しの時も病院の時も、北条いなかったよね」
西久保は、愉快気に顎に手を当てる。「もしかして、北条があの狐の人だったりして」
「そんなわけねぇだろ。狐野郎の動きはどう見ても人間じゃねぇよ」
「でもあんたが見えてんだから、怪異ではないでしょ」
西久保の返答に、東と莉世はキョトンとする。
「そういえば、そうだな」
東は納得するが、すぐに顔を歪める。
「いやいや、そのほうが意味わかんねぇし。じゃ、あいつは何なんだよ」
その問いに答えられるものは、誰もいなかった。
【3時間目:地理】
時刻は、午後五時三十分。
放課後、藍河稲荷神社境内で普段通りに特訓を行う。
「あの猿はもしかしたら、霊感のないただの能天気じゃないのかもしれないな」
そう言ったのは、琥珀色の髪をした北条家に仕える鬼神、松風だった。目線は、目前で特訓中の東と左門を捉えている。建物の縁側に座り、褒美の林檎を齧る。カリリッと心地良い音が鳴った。
「どういう意味?」
同じく縁側に座っている西久保は問う。
「本当に霊感がないだけなら、我々の攻撃を全て避けることはできないはずだ」
そう答えたのは、剣道の防具を身に着け、頭に角の生えた鬼神、日向。
「確かに、東くんは一度も怪我してないですよね」
莉世は日向に同調する。
「あぁ。あいつが勝手に転んだりしたのはともかく、オレたちの攻撃全部読んで反応してる。いや、元々怪我させんなとは蒼に言われてるけどよ、それでもあの乱丸の攻撃も全部躱してたんだろ」
「うんうん。それであの気性の荒い鬼神さん暴れそうになって、最後は強制的に北条に札に戻されてた」西久保は笑う。
「というかあいつ、乱丸も使ったんだな……」
日向は、端で東と左門を見ている北条を一瞥する。
「な。蒼、結構容赦ないよな」
松風は、ははっと楽しそうに笑った。
特訓を始めて一ヶ月以上経った今、北条家に仕える鬼神たちともすっかり打ち解けていた。特に、風使いの松風と聖職の日向は、まるで人間の友人のように親しみやすい。今は、関係者のみ入れる境内の拝殿隅の縁側で各々休憩していた。
「でも、オレらの声は聞こえてないみたいだし、見えてないのはマジなんだと思うぜ」
「そうだな。だからこそ、こうは思えんか」
日向はそう言うと、指を立てる。
「あの猿は、『怪異の影響を受けない身体』なのかもしれん」
「怪異の影響を……」莉世は目を丸くする。
「あ、でも確かに前も、猿だけ神隠しに遭ってないような感じだったよね」と西久保。
「あぁ。だから、我々人間を超えた存在の声は聞こえず、攻撃も躱す……いや、攻撃が『当たらない』と考える方が良いかもしれん」
「へ~、そんな体質あるんかぁ」
松風は、楽しそうに頭の後ろで手を組む。
「でも……その体質は、物の怪を殴ることはできるんですか?」莉世は、やりずらそうに問う。
「物の怪を殴る?」日向は怪訝な顔になる。
「うんうん。前に猿が物の怪の場所を察知して腕で殴ったの」と腕を振って説明する西久保。
「ははっ、あいつの野生の勘すごいな~」
松風は軽快に林檎を齧りながら言う。日向は顎に手を当て思案する。
「怪異の影響を受けないのに攻撃はできるとか……そんなのあいつ、最強過ぎない?」
「あぁ。もしその体質が本当ならば、彼はかなり貴重な人物になるに違いない」
日向も、東を見ながら言う。「だが、あいつ自身に、このことは言わない方が良いだろう」
「だね。言ったら絶対調子乗るし」
皆で視線を送り過ぎたのか、東は気配を察知したようにこちらに顔を向ける。
四人は各々目を泳がすが東はずかずかこちらに歩く。
「オイ、松風! そこにいるんだろ!」
「えっ、ウッソ、バレた?」
林檎を齧っていた松風は、若干むせながら肩を飛び上がらせる。背中の翼も毛羽立った。
「俺が見えてねぇからってサボってんじゃねぇぞ。おまえの『風』が全く来ねぇからわかんだ!」
「松風さん。もう誤魔化すのも、そろそろ限界ッス」
東の相手をしていた左門は、申し訳なさそうに片手を掲げる。
「松風……おまえ、左門に面倒事を押し付けるな」日向は睨む。
「ははっ、悪い悪い。すぐ行くから」
松風は、残った林檎を口に放り込むと、バサッと翼を広げて東の元へ飛び立った。
東は、「お、ちゃんと来やがったな」と本当に見えてないのか疑うタイミングで言葉を発する。
「なんかこう見ると、鬼神さんたちって人間と変わんないよね〜」
西久保は、松風の背中を見ながらしみじみ言う。莉世も頷く。
「人間以外は怪異、だなんて括りになってるけどさ、神隠しの鬼とか病院の女の子と全然違って、外見も内面も人間っぽいっていうか。松風っちなんて特に人間味ありすぎっしょ〜」
「まぁ、我々も元は人間だったからな」
「やっぱそうなんだ〜、て、え?」
西久保と莉世は日向を見る。「に、人間だった?」
「そのままの意味だ。北条家に仕える我々鬼神十二人共、全員昔は人間だった。あそこにいる松風も左門も、そして操も乱丸も、な」
日向は、目前で東の相手をする松風と左門を見ながら説明する。その声はとても冷静だった。
莉世と西久保は、目を白黒させる。
「えっと……聞き辛いんですが、『だった』ってことは、今は違うんですよね」
「そうだな。翼や角の生えた人間はいないだろう」
「そうだけど……」
西久保は髪を弄りながら日向を窺う。「ど、どうして日向っちたち、人間やめたの?」
「その言い方……」莉世は苦笑する。
日向は、過去を思い出すように目を細める。緩やかな風が彼女の赤髪を揺らす。
「人間としての役目を終えたからだな」
そう言うと、日向は立ち上がり、颯爽と社の中へと歩く。二人は、顔を見合わせながら彼女の後に続く。
社の戸が開かれると、そこには禍々しいオーラを放つ石が鎮座していた。部屋内に御札が張り巡らされ、石自体も鎖で頑丈に固定されている。
そんな石は、縦に大きくヒビが入っていた。
ただのヒビの入った石にも関わらず、莉世たちは息の詰まる思いになっていた。鼓動が速くなる。それほどまでに胸を圧迫する威圧感があった。
この石が、噂の『呪石』だとはひと目で感じ取れた。
「この石って……」
「環の封印されている『呪石』だ」日向は答える。
「環って、昔この街で悪さをした妖狐、ですよね……?」
莉世は問う。
「あぁ。もはや『悪さ』という可愛げのあるレベルではないがな」
日向は苦笑するが、すぐに咳払いすると険しい表情になる。
「我々皆、ここに封印されている『環』に殺されたんだ」
一瞬、呼吸が止まった。それは西久保も同じらしく、軽く口を開けて静止していた。
日向は、過去を思い出すように目を細める。
「もう随分と昔の話だが……我々は全員、物の怪を浄化する力のある人間だった。虹ノ宮の自警団として、一応名は知られていたんだ。だが、頭首を担っていた一番力のあった人物が、私に座を譲り渡した直後に環の暴動が起こった。……私の力不足だった」
日向の言葉には、怒りや後悔は感じられず、むしろ懐かしさすら滲んでいた。だが、責任感の強い性格なのだろう。頭首であった責任は今でも痛く感じられる。
そんな日向を、莉世と西久保はただ見つめる。
「ホタルの数だけの命が奪われたって聞いてるよ。それだけ環は危ない存在だったんだよね。日向っちのせいじゃないよ」西久保は言葉を探りながら言う。
「そ、そうです……それに今は……」
と、ここまで発して口籠る。人間ではなくなったのに「今でも生きている」だなんて言葉、軽々しく言えなかった。
黙り込んだ莉世を日向は一瞥すると、小さく笑う。
「そうだな。一応こうして、鬼神として生きられている。神になって便利なのは、食事や睡眠が不要なことだな。歳もとらなければ、法律や規律といったルールもない。案外、神の方が気楽なのかもしれないぞ」
日向は赤髪から覗く大きな牛の角を触りながら言う。
「ただ、ひとつ気がかりなことは……鬼神になったことで、物の怪を浄化する力を失ってしまったことだ。まぁ、『怪異』という存在であるだけ致し方ないのだが。浄化できるものが急激に減ったことで、残された者に負担をかけることになっている」
この街に浄化のできるものは一人しかいない、と言った白髪の青年の言葉を思い出す。
莉世は唾を飲み込む。そのものこそが、莉世の父親なのだから。
「浄化はできない代わりに、人類を超越した力を与えられた。それらでおまえたちを補佐することはできる」
日向は、目前の呪石に強い視線を向ける。
「人間ではなくなったが、我々はおまえたちの味方だ。それに環を恨んでいるのは変わらない」
低く、重たい声で言い放つ。
「あたしたちにできることは、何でもやるよ!」
西久保も強い声で返答する。
「わ、私も……未来を視ることしかできませんが……」
莉世も応える。
日向は莉世に振り向く。突如視線が合ったことで反射的にたじろぐ。
日向は女性でありながらも百八十センチは超える大柄で、目も鋭く洗練されたスタイルから、目が合うだけで気迫に呑まれそうになる。
思考が止まっていたが、じっと見つめられていると気付き、軽く首を傾げる。
「…………頼りになるぞ」
少し間を置き、日向は答えた。何か言われると思っていただけに気が抜ける。
「というか、この石、あたしたちが見ても良いの?」
西久保は思い出したように問う。確かに何度も来ているにも関わらず、呪石を見せてもらったのは初めてだった。
「あぁ。私がついている。問題ない」
日向は即答する。「例え何かあろうが、身を挺して守るさ」
「か、かっこいい……」
「日向っち、惚れそう〜」
莉世と西久保は、日向の男気に目が眩んでいた。
ゴーンと六時を示す鐘が鳴ったことで、本日の特訓は終了した。
☆☆☆