時刻は、午後六時〇分。
近くの時計台の鐘の音が響いたことで、今日も特訓を終えた。
「じゃ、次はテスト終わってからだな。検討を祈るぜおまえら」つっても学校で会うけどよ、と東は言う。
「テストが危ないのはあんただけだっつうの」西久保は言う。
明日からの一週間は、テスト一週間前で部活動も停止される。それに合わせて特訓も休みになった。東が言い出したことだ。
授業を真面目に聞いている莉世や北条はともかく、意外と西久保も地頭は良いらしい。テストだからと慌てるのは東だけであったが、彼が言い出した特訓なだけに皆も従った。
「あ、そういえば気になってたんだけど、北条、あたしたちの名前、さすがに覚えたよね」
西久保は怪訝な顔で問う。突然の問いかけに、北条はキョトンとする。
「そうだそうだ。おまえずっと俺らのこと名前で呼ばねぇし、気づいてないとでも思ったか」東は加勢する。
「猿とヤマンバ」
「違う」西久保と東は同時に言う。
二人の反応に北条は僅かに頬を緩めた。莉世もつられて笑う。
だが、そんな莉世に東は険しい顔を向ける。
「南の南雲もだ。さん付けで呼ばれると、距離感あるんだよ」
「そ、そんな……」莉世は困惑する。
「そもそも『南の南雲』もどうかと思うけど、距離感あるってのはわかるかも」
西久保は苦笑しながら言うと、西久保は莉世にウインクする。
「あたしは結構『わか』って呼ばれてるから」
「す、少しずつ慣れていくよ」
拳を握って答えると、西久保は満足そうに笑った。
「はい北条。呼ぶ練習してみろ」
「東、西、南」
「いや、そうではあるけど」
あまりにもくだらないやり取りに、ふふっと自然と声が漏れた。
テストの終了する約二週間は特訓はないが、この一ヶ月毎日鬼神と練習していただけに、それぞれ力はついた。妙な勘で怪異を避ける東や、術書を扱える西久保は次、怪異と対峙しても、冷静に対処することができるだろう。
だが、莉世は、自分の夢について知れば知るほど違和感を抱くようになった。
「ま、でも学生の本分は学業だし、テスト頑張ろ」
分かれ道でじゃ、といつものように手を振って別れる。
今は夢のことばかり考えても仕方ない。まずは目の前に出された課題をこなしていかなければ。
中学生になってから初のテストであるだけ、莉世も気を引き締めた。
☆☆☆
時刻は、午後六時〇分。
時計台の鐘の音と共に感嘆の声を上げた。テストを終え、早速再開した神社内での特訓も終了した。
「あ~終わった終わった!」
東は両手を上げながら柵に腰掛ける。
「小学校と違って、テスト中マジの空気なんキツイわ。腹鳴らねぇかずっとヒヤヒヤしてたぜ」
「まぁ確かに、静かだもんね。当然だけど」西久保も反応する。
「でもテストも終えたことだし、今日からはしばらく怪異と戯れることに時間がさけるな」
「戯れるって」
「本当、猿って怖いもの知らずっていうか」西久保も頭を振った。
夕日が彼らを照らす。薄暗い境内も今ではすっかり見慣れた光景だ。
他愛ない話をしていたが、ふと北条がこの場にいないことに気づく。
「あれ、北条くんは?」莉世は周囲を見回す。
「ほんとだ。どこ行ったんだろ」
「あ、そうか」
何か思い出したのか、東は柵から腰を起こすと、どこかへ駆けていった。
残された西久保と莉世は首を捻る。
「どうしたんだろう……」
「ね、何だろ」
「おーいおまえら、ちょっとこっちこいよ」
そう言って東は、走っていった境内奥からちょいちょい手招きする。
莉世と西久保は、首を傾げながら東に近づく。
境内奥まで行くと、北条も角から姿を現した。
「どうしたの?」
「せっかくテストが終わったんだ。今日は街探索の続編ということで」
そう言うと、東と北条は境内を抜けて奥の細道へと歩き始める。
宛先に見当がついたのか、西久保は「あっそういえば、もうそんな時期だっけ」と言った。
「こら、言うんじゃねぇぞ」東は指を立てて言う。
莉世はいまだ何のことかわからず首を傾げる。
細道を歩く。隣に流れる広い川の水音がこの場まで届く。天を覆う木々の葉は光を遮り、一足早くに夜が訪れたかのようだ。だが、暗い夜道を皆で歩くのは、大人な気分が感じられ、無性に気分が上がる。
「なんか暗いとテンション上がるよね」
同じことを考えていた西久保は笑う。
「夜ってやっぱなんか良いよな~自然が多いこの街だから余計に」東も楽しそうに同調する。
北条も同意するように目を閉じる。
特別な夜を楽しんでいたが、そこでふと、話し声が聞こえることに気づく。顔を下げると、ふわっと眩しい蛍光色が宙を舞った。
「あっ! ホタル」
「そうだ。この時期になると、この神社傍の小川にすんげぇ数のホタルが来るんだ」
東は角を曲がると、こちらに振り返る。
「ほら、ここやべぇだろ!」
東の背景にある小川には、暗闇に眩しいくらいの蛍光色が舞っていた。音もなくふわりと舞えば、儚く消える。そして再びチカチカ点灯する。
小川の周囲には、ホタルを見物に訪れている人が何人もいた。
「ここ、本当にすごい数だよね」西久保は空を見ながら言う。
「この小川は、上流の水が流れていることでとても澄んでいるんだ。それに人も少ない。環境が最適なんだろう」北条は説明する。
「俺、毎年この時期ここ通るたびに思ってたけど、ほんとすげ~よなぁ。北条が羨ましいぜ」
東も感傷に浸りながら呟く。
莉世もホタルの数に目を奪われていた。ちょうど昨年もこの時期にここでホタルを見た。あの時は一人だったが、一年経った今では、仲間と一緒に見ることができている。そんなちょっとした幸せを感じて胸が温かくなった。
「良い街だね」無意識に口にしていた。
莉世の言葉を聞いた東は、満足気な顔になる。
しかし、すぐに目線を下げて「でも、知ってるか?」と、やりずらそうな顔をする。
「ホタルの光って、死んだ人たちの魂でもあるんだぜ」
「あたしも日向っちに聞いた。呪石に封印されている妖狐のせいで、この街でこれだけの人の命が奪われたって。それだけやばいやつだったみたい」
西久保も感傷に浸るように苦笑する。
「辛いよね。こんなにもたくさんの命が、たった一匹の物の怪によって奪われたんだ」
こんなにも綺麗な光を持った人たちが、これだけ亡くなってしまった。
その現実に、莉世は何も言えなくなった。
――――パパ、いかないで……
――――……大丈夫だ。すぐに帰るから。ママには内緒な
何だ、この記憶は。
いやこれは記憶なのか? 夢なのか?
――――普通の人間に、なりたい
――――普通の人間に生まれ変わって、こうして――――くんとまた出会いたい
いつの間にか、周囲は白い霧に囲まれていた。
「あれ……皆、どこ……?」
莉世は彷徨う。東たちや先ほどまでいた観光客の姿がない。慌てて周囲を見回すと、霧の奥に白髪の青年が立っていた。落ち着いた色の和服を着用し、ストールが風になびく。
白髪の青年は、柔和に笑いながら莉世を見つめる。
「過去に、これだけの数の命が奪われたのは事実です。そして、このままでは再び悲惨な未来が訪れ、人々の命が奪われてしまう」白髪の青年は、寂しそうに笑う。
「魂と運命は廻り続けているのです。ですが、今ならまだ未来を変えられる可能性があります」
白髪の青年の口ぶりは、まるで人生を一周したかのようだった。酷く辛く、酷く悲惨で、酷く目を疑う。
そして酷く悲しい過去を経験したかのようだ。
そんな彼と、以前どこかで出会ったことがあるかのような錯覚に陥る。
――――……は、私よりも先に死んだりはしないよね
――――しませんよ。僕は人間よりも遥かに長い時を生きられますから
――――だったら、安心
――――どうしてです?
――――もう、大事な人が目の前で死ぬのは嫌だもん
この記憶は、いつの記憶だ?
これは夢なのか、現実なのか?
何もわからない。何も知らない。
でも、どうしてだろうか。
この白髪の青年のことは、忘れてはいけない大切な存在だったはずだ。
いつの間にか、莉世の目からは涙が溢れていた。
そんな彼女の顔を見た白髪の青年は、僅かに困惑の色を見せる。
「何故……」
「あなたが、辛そうな顔をしているからです」
莉世の言葉に、白髪の青年の顔から笑顔が消えた。
「私には未来を視る力がある。なのに、どうしてあなたは、夢に出てこないのですか……?」
莉世は涙を拭きながら問う。
「それは」
白髪の青年は目を逸らす。「本来私とあなたは、出会うべきではないからでしょう」
この先はもう、会えないということなのだろうか。胸が圧迫される。虚しさから心に大きく穴が開いた気分だった。
黙り込んだ莉世を白髪の青年は一瞥すると、小さく息を吐き、頬を緩める。
「ホタルの光は、死者の魂とも言われますが……こんな風にも言われるんですよ」
白髪の青年は宙に手をかざす。
「愛しい人を想い焦がれる恋心……。儚くて切なくて、そして美しい例えです」
そう言うと、白髪の青年は背中を向けてどこかへ歩き始める。
「ま、待ってよ!」
莉世は叫ぶ。しかし、いつの間にか白髪の青年は消えていた。
いつもそうだ。待ってほしいのに待ってくれない。
いつも私を置いていく。一人にしないで――――
「莉世ちゃん……?」
いつの間にか霧は晴れ、目前には三人の不安気な顔があった。
はっと我に返る。莉世は頬に伝う涙を慌てて拭った。
「ご、ごめん……ちょっと、悲しくなってしまって……」
「だよなぁ。これだけの人間が死んだって思うと、相当だよな」
東は口を歪めて言う。「でもさ、こうして見ているだけで、なんか見届けてる感覚にならねぇ?」
「確かに。ホタルの寿命も二週間くらいって言われているしね。もし死んだとしても、こんなにたくさんの人たちと一緒なら、寂しくないかも」
西久保も頷きながら言った。
二人が話す中、北条はじっと莉世を見ていた。
美形の彼に泣き顔を見られたことに恥ずかしくなり、顔を逸らす。
「……この世界では、環(タマキ)の好きにさせない」
「環?」
「僕が、命をかけても護るから」
北条は強く言う。まっすぐ放たれた彼の言葉に、莉世は息を呑んでいた。
「北条くんって……」
そこまで口に出るが、北条がいつになく優しい目をしていたので、言葉が続かなかった。
【中間休み】 完