西久保は、神隠しでの一件以降、狐面の少年のことが気になっていた。その正体は、怪異を身に纏った北条だった。
元々北条は、美形の顔立ちに大人っぽく、極めつけにこの街を代表する神社が家だ。顔と家柄が良く、頭も良い。さらにけた外れた身体能力を所持する。
中学生では、イケメンに運動のできる人物は必然的にモテる。
そんな人物であるからこそ、次の日から西久保の態度が変わるのも想定通りだった。
「北条、いつもお弁当なんだね」
昼休み休憩中、西久保は後ろに振り返り、北条に話しかける。
「お母さんに作ってもらってるの？」
「自分で作っている」北条は淡々と答える。
「え、そうなの？ まだ中学生なのにすごくない？」
席替えが行われて以降、四人で食べることが増えたものの、西久保は普段よりも積極的で、声のトーンも高い。
二人のやり取りを、隣に座る莉世と東は横目で見ていた。
「西久保さん、わかりやすいっていうか……」
莉世は小声で苦笑する。
「何なんだよこいつ」東はぶっきらぼうに吐き捨てる。
「でも命を助けられた恩人なんだし、仕方ないかも。それに私たちの中で一番活躍してたね」
莉世は、以前の東の発言を思い出して口にする。
「おもしろくねぇ」
東は乱暴に焼きそばパンに齧りついた。
「一体、あれは何？」
授業を終えた放課後の藍河稲荷神社境内。
縁側で胡坐をかく松風は、広場の北条と西久保を指差す。
「わかちゃん、あんなに蒼と仲良かったっけ。何かあったのか？」
「狐憑きのことが知られたらしいな」
縁側柱に寄りかかる日向は説明する。
「あ、そうなんだ。でも、それだけで？」
「西久保さん、以前狐面の人に助けられてから、ずっと狐の人のことが気になっていたんです……」
莉世は説明する。
「ははっ、なるほど。彼女がこの神社で落ち着きなかったのはそれか～」
青い青い、と松風は楽しそうに口笛を鳴らす。「あ、青い蒼」
「蒼があそこまで動揺しているのも珍しい」
日向は淡々と続ける。スルーされたことで松風は寂しそうに唇を尖らせる。
「やっぱり動揺しているんですか？」
「あぁ。蒼は顔に出辛くてわかりずらいが、あれはだいぶ困っている顔だ」
「蒼、結構モテそうな顔してるけど、近寄り難いオーラあんもんな～」
「そうだな。だが、私はあちらも気になる」
そう言って日向は、視線を広場隅に向ける。
目線の先には、ふてくされた顔の東がいた。
「猿、今日機嫌悪くないか？」
「あぁ……」
莉世は苦笑する。「多分、あの二人が仲良くしているのが面白くないのかと」
「へぇ〜ふ～ん、意外とそうなのか。中坊なんだし、うつつを抜かすのも仕方ないな」松風はすぐに理解したのか、楽しそうに三人を眺める。
「どういう意味だ？」
「日向には、わからないだろうさ」
松風は愉快そうに笑った。
以前から、北条と狐面の少年はどこか空気は被っているとは思っていた。それでも彼が本当に狐面の少年だとは思わなかった。怪異を憑依させる、だなんてことがあるとは思わなかったからだ。
「怪異を身に纏っていると聞いたんですが……それって、日向さんたちも纏えるということですか？」
素朴に感じた疑問だ。
「どうだろうか。試したことはないな」と日向。
「オレらは結界の外には出られないしなぁ。ま、神なら何だってできんじゃね」松風は適当に答える。
「神って、眠たくならないしお腹も減らない、それに歳もとらないんですよね……人間を超えた存在って無敵ですね……」
何気なく言ったつもりだったが、松風と日向は黙り込む。反応がないことで、莉世は顔を向ける。
「でもな莉世ちゃん、実は神も死ぬことはあるんだぜ」
「え、そうなの？」
「あぁ。神も無敵ではない」日向も頷く。
「莉世ちゃんは、神が死ぬ理由って、何だと思う？」
松風は口角を上げて問う。莉世は顎に手を当て思案する。
「四方八方からナイフで刺されるとか、氷点下の海に沈められるとか」
「意外と残酷な思考だな」
松風は、ははっと笑うと、人差し指を立てる。
「神が死ぬ時。それは、神が『大多数の人間よりも個人を優先して行動した時』だ」
「個人を優先して……」
「あぁ。我々神は、己の使命を果たすために存在している。太陽神は街を照らすため、豊作の神は穀物の実りの為、そして死神は人間の命を取るために存在している。だが、個人の人間に肩入れすることで、全ての均衡がずれてしまう仕組みになっているんだ」日向は説明する。
「例えば、錯乱した男がホームから落ちて死ぬ運命だったとするだろ。だが実は、その男には家族が殺されたという背景を背負ってたとする。それを知った死神が、その男に感情移入して魂を取らなければ、男は生き続けることになる。すると錯乱した男に刺されて本当は死なないはずの人間が死ぬ可能性も生まれてくる」
松風は饒舌に説明すると、指を立てる。「つまり、個人を優先したことで、未来が大きく変わる可能性がある」
「太陽神が街を照らすことを放棄したら、作物は育たず、豊作の神も使命を果たせなくなる。一人の神が均衡を崩すことで、他の神にも影響を与えてしまう。それは一人だから、一度だからと許されるものではない。だから神は、大多数より個人を優先した時点で消えてしまうんだ」日向も真剣な顔で説明した。
「神は人間よりもはるかに力はあるけど、一番の弱点が人間なんだよ」
松風の言葉が脳内に響く。壮大な話に莉世の思考は宇宙に飛んだようだった。
「おい松風！ またサボってんだろ」
広場から東が叫ぶ。その声は普段以上に棘がある。
「あ～バレちゃった。じゃ、今日はこの辺で」
松風は悪びれることなく立ち上がると、翼をバサッと広げて東の元へ向かった。
洒洒落落とした彼の背中を、莉世と日向は見送る。
「神は神でも、やっぱり松風さんは、凄く自由ですね」
「まぁ、逆に言えば、使命さえ全うすればいいからな」
日向は苦し紛れに松風をフォローした。
☆☆☆
神社を後にし、それぞれ分かれ道で各々家路につく。
何かに呼ばれたように莉世は振り返る。鳥居の下には、北条が立っていた。
莉世は、こちらをジッと見る北条に首を傾げる。
「莉世」
そう言って北条は、手招きする。莉世は、引かれるように神社へ戻る。
「どうかした？」
「莉世は、夢で現実を視られるのだろう。それは、未来だけなのか？」
唐突な質問に、キョトンとする。
「どういう意味？」
「例えば、『過去』も夢で視たりはしないのか？」
「過去……」
考えたこともなかった。
しばらく思案していたが、北条は目を逸らし、「……悪い、いきなり変なことを」と小さく息を吐く。
「北条家に代々伝わる狐憑きは、『藍河稲荷神社に仕えたことのある狐の霊獣』を憑依することのできる呪術だが、その中でどうやら、莉世のことを知る存在がいるんだ」
「私のことを……？」
と顔を上げた時に、その存在に気が付く。北条の奥、境内隅から、白髪の青年が、小さく手を振っていた。
「え？」
莉世の表情の変化に、北条は後ろを見る。
だが、その瞬間に、白髪の青年は姿を消していた。
「どうかしたか？」
「い、いや……何でもない」莉世は慌てて手を振る。
「とにかく、何か夢で視たら、どんなことでも言ってほしい。もしかしたらその夢が、環を浄化することに繋がる可能性がある」
「う、うん。わかったよ」
そう言うと、北条に手を振って鳥居へ向かった。
「過去、か……」
未来じゃなかった夢は、もしかして過去だったのだろうか。夢はほぼ毎日見ている。そこまで詳細には確認できていない。
情報が入り乱れている。中学生の自分が考えるにはキャパオーバーしかけていた。
帰宅したら一旦ノートに書き出して整理しよう、とボンヤリ考えながら境内を抜ける。
大きな鳥居まで来ると、ふと視線を感じた。
「あれ、西久保さん？」
「あ、り、莉世ちゃん……」
朱塗りの鳥居に隠れるように、西久保がいた。すでに帰宅していると思っていただけ目を丸くする。
「まだ帰ってなかったんだね」
「じ、神社に忘れ物して、ちょっと取りにきてさ……」
西久保は言葉につまりながら答える。
普段とは違う、ぎこちない態度の彼女に首を傾げる。
「えっと、莉世ちゃん……北条といた？」
「え、あ、うん」
「何、話してたの……？」
西久保は、莉世を観察するような目で見る。
「えっと……未来以外にも、視られるものは何かあるか、とか……」
あとは、北条の纏う霊獣に自分を知っているものがいる、ということだった。質問されただけで、特に深い話はしていない。
西久保は莉世を一瞥すると、悔しそうに顔を歪めた。
「あ、あのさ、莉世ちゃん……」
そう切り出すと、西久保は意を決したように顔を上げる。
「あたし、北条のことが好きなの」
西久保は、以前から狐面の少年のことを想っていた。狐面の正体が北条だったのだから何も不思議ではない。
だが、彼女の唐突な告白は、マウントをとっているようにも感じられた。
「そ、そうだよね……だって、狐くんが、北条くんだったんだし……」
莉世は必死に言葉を返した。
西久保が狐面の少年のことを想っているのはわかっていたことだ。その狐面の少年が北条だったことで、彼に好意が向くのは自然でもある。
だが、はっきり口に出されると心がざわざわした。言語化できない気分の悪さが立ち込める。
「以前莉世ちゃん、協力してくれるって言ったよね。それは、変わってないの？」
西久保は莉世を窺いながら問う。
「も、もちろん……私なんかが協力できるのかわからないけど……」
そんなことを言っているのではないと頭ではわかっている。先ほどの質問から考えても、西久保は自分のことを疑っている。もしかしたら、莉世も北条のことを気になっているのではないのかと。もしかしたら、莉世も北条のことが好きなのではないのかと――――
口下手であるだけ、黙るしかできなかった。
そんな莉世を西久保はもう一度見ると、緊張が解けたように笑顔になる。
「それならよかった。ありがとうね」
じゃ、忘れ物取ってくる、と西久保は鳥居をくぐる。
莉世は虚ろな表情のまま、軽く頷いた。
自分は、北条のことが好きなわけではない。そもそも彼のことをまだあまり知らない。
それなのに何故、こんなにモヤモヤしているのだろうか。
思考の回らないまま家路についた。
☆☆☆