「さっさと動かねぇとだめだろ。それだけ環がやばいやつならよ」
知らぬが仏なのだろうか。口ではそう言いながらも実際東には怪異が見えていない。環によって怪我を負った日向の姿が見えていないから、現実が見えていないから、無謀だと思う行動をとる勇気が出るのか。
と莉世は思うが、ふと彼の身体が震えていることに気づく。
「東くん……」
「多分、鬼神がそこにいるんだろ。そんで、俺らに行くなっつってる。それだけ環が危ない奴なんだって」
東は、自身の震える手のひらを見ると「チッ、情けねぇな」と吐き捨てる。
「でもな、あいつが戦ってるかもしんねぇのに、自分だけ逃げるわけにはいかねぇだろ。あいつに負けるのだけは癪なんだよ」
強く頭を打たれたような衝撃が走る。
逆だった。現実が見えていない分、むしろ恐怖が勝るのだ。本当のことだと信じれば信じるほど目をそらせなくなる。それは悪夢が現実になると気づいたせいで、夢の中で目をとじ、夢を受け入れず警戒心が強くなった自分自身が体験して知っていることではないか。
でも東は、怯えながらも見えていない現実に立ち向かおうとしている。彼の隣に立つと、自分がちっぽけに感じた。
「……操さん」
莉世は、日向を支えている操に向かう。操は目を瞑ったまま彼女に顔を向ける。
「あなたの能力で昨夜何があったのか見せてください」
彼の能力ならば、昨日何が起こったか実際目で見ることができる。北条がどこへ行ったかも把握できるはずだった。
しかし、操は静かに首を横に振る。
「どうして……?」
「今は見せるべきではないから、だな」
無口の操に変わって日向が代弁する。
「見せるべきではないって……」
「とにかく今日は引いてくれないか。蒼のことは心配するな。それに、莉世にはもっと話すべき人物がいるはずだ」
そう言って日向は、莉世の背後に視線を向ける。
つられるように後ろを向くと、そこには父親の姿があった。
「パパ……」
「莉世、おまえ、何でここに……」
莉世の父親は目を丸くして問う。そんな彼の態度に日向は小さく息を吐く。
「ここまでくれば、もうおまえも子煩悩を言っている余裕はないはずだ……。環も開放されてしまった。このままずっと眠らせたままにするのか」
日向は、冷静な声で説得する。長い沈黙の後、父親は観念したようにため息をつく。
「そうだな……。ちゃんと話すよ」
父親は、莉世と東に顔を向ける。
「莉世と、東くん、だっけ。少し私の家で話そうか」
「え、でも、北条は……」東は問う。
「彼なら憑依しているから恐らく大丈夫だ。そもそも今、どこにいるのかもわからないからな」父親は肩を竦める。
「環が解放されてしまった今、少しでも物の怪について知っていた方がいい。特に東くんは」
「お、俺っすか」東はやり辛そうに頭を掻く。「確かに俺、馬鹿だけど……」
ブツブツ言う東を、父親は目を細めて一瞥した。
莉世たちは、父親に引かれるまま神社を後にする。
そんな三人の背中を、鬼神たちは見送る。
「……ねぇ、ひゅーたん。あの女の子って…………」
八角は、恐る恐る問う。
「あぁ、そうだ。だから今は昨夜の一連を見せるべきではなかった。少なくとも自分の父親がどういう存在なのか、そして自分の立ち位置がどんなものか莉世自身が気づくまでは」
日向は力なく苦笑する。「感情的になった彼女が我々でも手に負えないのは言うまでもないだろう」
「確かに何も知らないまま環の姿を見せるべきではないかぁ」八角は深く頷く。
「おまえたちはあいつらに会うのが初めてだろう。だから私が出てきたんだ」
「そういう意味だったのネ」斑は納得するように頷く。
日向は、静かに目を落とす。「しかし、それも時間の問題か」
「時間の問題?」と斑。
「蒼の話によると、彼女が視ているものは恐らく未来ではない」
「え、でも未来予知の能力があるってみんな思ってるんだよね」八角は困惑する。「それだけ未来を当てているって……」
そこで斑は何かに気づいたように黙り込む。遅れて八角も「あっ」と声を上げて言葉を閉ざす。
二人の反応に、日向は軽く頷く。
「呪石のヒビや蒼の突然の転校、そして莉世の転居……タイミングが良すぎると思わないか。つまり過去と同じ運命を辿る為に、運命が『軌道修正』しているんだ。だから莉世は未来を知っているように錯覚している。実際視ているものは――――」
そう言うと、日向はおもむろに空を見る。
「タイミング的に環の暴動を夢で視ていてもおかしくない。彼女の扱いは慎重にならなければ」
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