昼休み1



ざぁざぁ雨はきつくなる。だが西久保は、傘も差さずに湿気た森を堂々とした足取りで歩く。雨で制服は濡れ、着心地は最悪だが、彼女の意思とは対照的に身体は動く。

(何で……何で勝手に動くのよ……!)

西久保は、心の中で混乱した。何者かに身体を操縦されている感覚だった。足を止めたいと考えても歩き続ける。雨が鬱陶しくても傘を差せない。まるで夢の中にいるかのようだった。

「君、桜鼠中学生だよね」

その声に西久保は静止する。背後には、パトカーから顔を覗かせる警察官がいた。平日昼に雨の中、傘も差さずに制服で森を歩く西久保が気になったのだろう。

(違うんです……。身体が勝手に……)

西久保は心の中で弁解するも、口は開かない。

そんな為す術もない彼女を嘲笑うかのように、西久保の顔には笑みが浮かぶ。

「この器を試しておくべきかな」

西久保はそう呟くと、パトカーにおもむろに近づく。

警察官は、安堵した表情を見せるも束の間、気づけば頭部が消える。それはごろりとサッカーボールのように地面に頃がる。遅れて、頭部の消えた首からは鮮血が噴き出す。

「なっ……!」

運転席にいた警察は、瞬時に車から降りると拳銃を構える。そんな様子を西久保は恍惚とした目で眺める。

「ほう……逃げなかったことだけは讃えてやろう」

その瞬間、西久保の身体から九本の尻尾が現れた。

無造作に暴れ回り、瞬く間に警察官の身体が無惨に割かれる。四肢もすっぱり切り落とされ、木の幹にピシャリと鮮血が飛び散る。血の海、と呼ばれるほどに凄惨な光景に変わるが、次第に雨で流された。

同時に、身体から何かが湧き上がり、西久保は道端に吐き出した。

「ったく……これくらいのことにも耐えられんのかこの身体は……」ぺっぺと吐き出して身体を起こす。

(何、何なの、これは自分がしたの……?)

「あぁ、うるさいぞ小娘」

西久保は、手で自分の頭を勢いよく殴った。その衝撃で、西久保の思考がプツンと切れる。

「殺しはせん。おまえの嫉妬は、十分に利用してやりたいからな。しばらくは寝ておれ」

そう言うと、環の憑いた西久保は、不敵な笑みを浮かべながら雨の街を歩いた。

【昼休み】

時刻は、午前七時。

起床した莉世は、普段とは違う景色に茫然とする。北条家に匿われて一日経ったが、まだ慣れない光景だ。

環を捉えるまでは、この社から出ない方が良いと言われた。理由はわからずとも、目的を聞いていただけ莉世も従った。殺されたくはない。

授業に出られないことが気がかりであるが、北条は学校に出席しているだけ後で聞けば良い話だった。

食欲をそそる濃厚な香りが届く。莉世は身体を起こすと、隣の部屋に入った。

「あ、莉世さんおはようございますッス! 朝食ちょうどできたとこッスよ」

戸を開くと、鬼神の左門が笑顔で出迎えた。大きい目に八重歯の覗く口元からも、元気な少年のようだ。莉世も接しやすい鬼神の一人だった。

「今日は、左門くんなんだね」

莉世の身の回りのお世話は鬼神たちが行っていた。「北条家の言うことは何でも聞く」と以前北条が言っていたとはいえ、頭が上がらない。

一日ごとの当番制になっているようで、今日は左門のようだ。ちなみに昨日は、日向だった。

「ハイッ。つってもオレ、料理てんでできなんで、こんなものになったんスけど」

そう言って机上に乗せられる。濃厚な豚骨に分厚いチャーシューの乗った熱い男メシだった。

「ラ、ラーメン……」

「これだけは、自信を持ってお出しできるものなんで!」

左門は大きく胸を張る。莉世は思わず失笑した。昨日の日向の料理といい、鬼神の作る料理には個性が顕著に表れる。

「朝から女の子にラーメンは、さすがにキツイだろ~」

襖が開かれると共に緩い声が届く。林檎を齧る松風と日向の姿があった。

松風は、莉世を見ると「はよっ、莉世ちゃん」と軽く手を振った。

「心配だから見にきたら、案の定だな左門は」

日向も腕を組みながら険しい顔をするが、松風は即座に彼女に振り向く。

「あ~、日向は何も言えねーだろ。昨日のこと忘れたのか」

「料理なんて、百年していない」

日向は開き直ったように答える。ここまで堂々とされるとむしろ潔い。

「まぁオレらは、食わなくても良いしな〜」

「やっぱキツイッスかぁ。ウ〜でもオレ、これしか作れないんスよ」

うなだれる左門に、莉世は慌てて手を振る。

「全然! とっても美味しそうだから嬉しいよ。ありがとうね、左門くん」

気を遣ってそう言うと、左門は「善処するッス」と八重歯を覗かせて笑った。

「家を離れて不安じゃないか」日向は問う。

「ううん。むしろパパがいなくて寂しかったから、鬼神さんたちと一緒にいられて楽しいよ。本当にありがとう」

皆が、自分の為に動いてくれていることに対して感激した。祖母がいたとはいえ、ずっと父親のいない生活に慣れていたことで、これだけ騒がしい生活が温かかったのだ。

孤独を癒す為のクセが出る。松風は、そんな莉世の行動に気づく。



「そのネックレスは?」

「あ、これは、パパから貰ったものです。物の怪を近づけないお守りの効果があるって……」

見せるように掲げると、松風が「うわっ、懐かしい」と声を上げた。

「懐かしい?」

「あぁ、五芒星の品は我々も昔、よく使用したものだ」

日向は頷きながら言う。

「どういう意味です?」

「莉世の父親が、『春明』の生まれ変わりだという話は、恐らく聞いただろう」

以前、父親が自分に話した時のことを思い出す。

「は、はい」

「春明は、我々の頭首だった」

「え、それって」

莉世は、以前日向とした会話を思い出す。「虹ノ宮の自警団ってやつですか」

「あぁ。春明は、能力的にも人望的にも、一番力のある人間だった」

「結局オレは、最後まで剣では春明に勝てなかったんだよな~」松風は、過去を懐かしむように腕を組む。

「それだけ春明さんは、すごい人だったんですね……」

「そうだな。それに春明は、妖狐を妻に迎えたことでも有名だった」

「妖狐を?」

「あぁ。初めは知らなかったらしいが、妖狐だと気付いた時も彼女のそばにいると誓ったらしい。最後は、家族を優先して現職から身を引いたからな」と松風。

「春明さんの男気だけは、すげぇ尊敬するッスよ〜」

左門は何度も頷きながら言う。

莉世は、そこでふと思う。

もし、過去に伝説を作った春明の生まれ変わりが父親であるならば、母親は「妖狐」だったのだろうか。もしそうであるなら妖狐の環との共通点も見られる。

母親の最期を思い出す。今までは目を逸らして気が付かなかったが、公園全体に建物が倒れても、莉世たちの周囲だけ結界が張られて怪我はなかった。それが母親に妙な力があったからと言われれば説明がつく。

私の母親は、妖狐だったのか?

そこでもう一つ疑問に思う。

万が一、母親が妖狐だったならば。

妖狐と人間の間に生まれた私は――――――

「あー莉世さん、麺伸びるッス! 早く早く!」

左門は急かす。

「あっ、ご、ごめん!」

莉世は、慌てて箸を手に持った。

◇◇◇