莉世の父親、秋晴(アキハル)は覚悟を決めた。
環の物の怪の浄化もほぼ終えた。そのタイミングで大元の開放。
決戦の時が来た。
秋晴は僅かに口角を上げる。その顔には高揚感が滲んでいた。
この一年以上、妻の復讐の為だけに生きていた。環を見張っていた鬼神も手に負えないほど成長したとは聞いた。全く根拠のない自信だ。ただ興奮しているだけなのかもしれないが、それでも不思議と負ける気はしなかった。
莉世は今頃、神社で見守られているだろう。あの社なら鬼神もいれば、結界も張ってある。この家よりも安全であることは確かだった。
今日終えれば、秋晴は物の怪に関わらないと決めていた。長かった。環の生きている間は、まともに笑うこともできなかった。
やっとこれから娘と平和な日々を送ることができる。
自宅を出ると、家の前に人が立っていた。莉世と同じ学校の制服を着用した女の子だ。深夜に制服で歩いていることに、秋晴は違和感を抱く。
少女は顔を上げる。その顔は西久保だった。
「初めまして。あなたは秋晴さんですね」
西久保は言う。その口ぶりは、中学生の少女が口にするには貫禄が帯び過ぎている。
何か憑いているな、と秋晴は瞬時に察する。
「何で、俺の名前を知っているのかな」
「可愛い身内を殺した奴の名は覚えているものだと、おまえが一番知っているだろう」
西久保から九本の尻尾が生えた。
環だ!
今まで千体近くの物の怪を浄化したが、今まで対峙した物の怪とは段違いの妖力を感じる。無意識に身体が震えた。
ラスボスというのは、やはりこれだけ違うのか。
それなのにも関わらず高ぶる感情は、高揚しているのか、緊張しているのか、はたまた恐怖しているのかはわからない。
「俺は、おまえを浄化する為にここに来たんだ……!」
秋晴はそう言うと、左手につけている数珠のようなブレスレットに触れる。
「『乙葉』」
秋晴の声が響くと同時に、姿が変わる。
目は鋭く、神聖なオーラを纏っている。身に纏っていた衣服は和服に変わり、狐面の少年のように人間離れした佇まいをしている。
彼の言葉と姿に、西久保は険しい顔をする。
「音葉、じゃと……?」
「あぁ、おまえに殺された俺の妻だ。簡単に死ねるとは思うなよ」
そう言うと、秋晴と西久保は宙に飛び上がった。
☆☆☆
同時刻。
月明かりの差す宵の空の下、寝室で横になっていた莉世は、跳ねるように身体を起こす。
「パパ……?」
ポツリと呟いたその顔面は、蒼白にだった。
隣を見るが、当然父親の姿はない。
身体が震えた。先日の悪夢のようで信じたくなかった。白髪の青年は、ものの捉え方を変えれば未来は変えられると言っていた。だが今回は、はっきりと結末まで視えてしまった。母親の時のように、はっきりと現実を見てしまった。
父親が死ぬ。
「パパ!」
「莉世、どうした」
彼女の声を聞きつけた日向は、即座に戸を開ける。
「パパが……パパが死んじゃう……!」
莉世は、慌てて部屋から出ようとする。
「ま、待て。今、外に出ては」
「だって、パパが死んじゃうよ……!」
「何事だ」数秒遅れ、北条も姿を現す。
「蒼。莉世が未来を……」
「パパが死んじゃう!」莉世は取り乱して北条に言う。
すぐに状況を察知した北条は、左手につけられたブレスレットに触れ、即座に霊獣を身に纏う。
「蒼、夜は危険だ……!」
「運命が重なっているならば、今向かうべきだ」北条は前を見据えて言う。日向は唇を噛んだ。
「場所はどこだ」
「多分……川…………」
北条は莉世を抱えると、跳躍して神社を飛び出した。
「どうしよう……パパが……パパが……!」
莉世は動揺する。父親が無惨に殺される夢を視た。目が離せないほどに鮮明に焼き付いていた。以前視た夢のようで、これが未来だと信じたくなかった。
莉世を一瞥した北条は、無言のまま抱きかかえる腕に力を入れた。
広い川に辿り着く。高架下には、父親の秋晴と西久保の姿をした環がいた。
「パパ!」
莉世は川辺に降りると、堪らず駆け寄る。秋晴と環は彼女に気が付く。
「莉世、何で……」
秋晴は混乱した。環は、北条と莉世を見ると、カッと頭に血が昇る。
「やっぱり、そういうことか……!」
途端、尻尾が莉世へ向かう。
「待て!」
父親は、反射的に飛び出した。
その瞬間、何かが抉れるような鈍い音が響き渡った。
つい先ほど視た悪夢が現実になる。いや、これは悪夢の続きを視ているのだろうか。
西久保の身体から伸びる尻尾が、秋晴の身体を貫いた。秋晴は、ガフッと口から大量の血を吐く。
「パパー!!」
莉世は、半狂乱になりながら父親に近づく。
父親は、ぜーぜー息をしながら莉世に手を伸ばす。
「莉世……」
「やだ! やだよ、パパ!」莉世は父親にすがる。
「何で、何でなのよ! 何でパパが……!」
興奮気味に目から涙がボロボロと溢れた。
莉世は、夢で同じ未来を視たはずなのに、父親の姿を視た瞬間、つい感情に走ってしまった。自分の軽率な行動がこのような未来を招いてしまったのだ。
だが、この後どうなるかの未来を冷静に見られる状況でもない。
錯乱する莉世を、環は冷めた目で見る。だが、身体の限界がきたのか、胃から込み上げてきたものを近くに吐き出した。
「うるさい……うるさい…………!」
環の尻尾が伸びる。先端は秋晴と莉世を狙う。
「莉世!」北条は、地を蹴って莉世に向かう。
「莉世…………」
秋晴は、虫の声で莉世に向かう。「愛してるよ」
父親がそう呟いた瞬間、視界が暗くなった。グチャリと気味の悪い音が鳴る。それと同時に、莉世の中から熱い何かがこみ上げる。
北条が、咄嗟に莉世の目を塞いだことで、まるで目を閉じていた時の悪夢のようだった。
これは悪夢だ。ただの夢だ。
現実じゃない。未来じゃない。
そう思いたい感情とは裏腹に、莉世の顔は悲壮感で満ち溢れる。
「嫌だ――――――――!」
北条は、ただただ力強く莉世を抱える。
環は、尻尾を振って血を飛ばす。その顔は感情が欠落していた。
「春明の生まれ変わりと聞いたが、何ともつまらん……いやあ奴も最期はあっけなかったか。なぜ妾がここまで執着したのか今ではわからんな」
環は拍子抜けしたように淡々と着物を整えるとおもむろに歩き始める。
北条に庇われていた莉世は、ゆらりと立ち上がった。
佇まいは、落ち着きを取り戻したようでも、感情が押し殺しているようにも見える。
「西久保さん。そんなに私のことを恨んでいたの……」
莉世の言葉に環は足を止めて振り返る。環が口を開く前に北条が前に出る。
「莉世、違う。彼女には環が乗り移っている!」
莉世は納得できるわけがなかった。目の前で父親を殺されたのだから。
次第に莉世の表情は怒りで紅潮する。
「許せない……許せない……!」
途端、カッと閃光が走った。それと同時に、莉世のペンダントが割れた。
光の中から現れた人物は、莉世でありながら莉世ではなかった。先ほどまで着ていた寝具は着物に変わり、頭には尖った耳が、腰には二本の尻尾が生えている。
その顔つきは、今までの莉世とは別人のように鋭い眼差しだった。警戒心の強い普段の莉世とは別人のように堂々としている。
変貌した莉世の姿を見た環の目は輝く。
「やっと出てきたか燐音……! 妾はずぅっと待っておったんじゃ。おまえがこの世に再び生まれてくることを! やっとあの時の恨みを晴らすことができる……! おまえが、妾を封印したあの時の借りをな!」
そう高らかに叫ぶと、環は八本の尻尾を掲げた。少し間を置き、環は自身の尻尾を見る。
一本の尻尾が、見当たらない。
「……………………あ?」
切り口からはポタポタと血が滴る。尻尾がスッパリ切られていた。
環は視線を戻す。莉世は無言で環を睨んでいた。その尻尾には鮮血が付着し、口には尻尾を咥えている。
目で見えないほどの一瞬のできごとだった。
「おまえ……!」
環は目を見開いて莉世を睨む。莉世は咥えた尻尾を吐き捨てると、感情の欠落した冷酷な顔を向ける。
「パパを殺したんだ……ちゃんと償ってもらうから」
莉世はそう言うと、再び尻尾を振った。目で追えないほどの速さだった。環は避けようとするも、器の反応が僅かに遅れた。
「グッ」西久保の身体に大きく傷が入る。そのまま力なく地面に突っ伏した。
「莉世! 止めろ!」北条が叫ぶ。
その声に莉世は、反応する。声の方へ顔を向けると、北条は莉世を注視していた。
「紫翠……くん……?」
だが、その一瞬の隙に環が動く。
「燐音!」
環がそう叫んだ瞬間、風を切るように何かが過ぎった。それと同時に、その場に莉世の姿が消えた。
代わりに、ふわりふわりと鳥の羽根が舞った。
「ふぅ……危ねぇ〜」
翼の生えた鬼神、松風は、莉世を抱えながら息を吐く。翼の傷は回復したのか、何事もなく羽ばたかせていた。その腕には、莉世を抱えている。
「間一髪か。間に合って良かったぜ」
「離せ!」莉世は、力任せに暴れる。
「ちょ、おい、暴れるな」
「気安く触れるな!」
「うおっ!」
松風は、体勢を崩しながら、屋根の上に着地する。
解放された瞬間、莉世は即座に環に向かう。
「待て莉世! 彼女は環に憑かれているんだ!」
――――殺しちゃっても良いよ。
――――君もわかってるでしょ。物の怪に纏われていても意識はあるって
莉世の脳内に声が響く。
環は莉世の父親だとわかっていた?
嫌いな相手の父親だから、少しでも意思が残っていても許せてしまうんだ。
「パパを殺したことには違いない……!」
莉世の妖力が増した。そんな彼女に松風は怖気つく。
「環ィィ!」
莉世は、発狂しながら屋根から飛び下りる。二本の尻尾を機敏に動かし、臨戦態勢は整っていた。
莉世の形相に、環はたじろぐ。
「ちょっ……莉世ちゃん! やめて、あたしだよ!」
「関係ない……パパを……パパを返して!」
このままでは西久保を殺してしまう、とは莉世はわかっていた。だが、歯止めが効かなかった。自分の身体でありながら別の誰かに操られている感覚だった。
これが眠っていた、皆が警戒していた『妖狐の自分』なのだろうか。
「ァァァアア!」
莉世が両手を組むと、宙に大きく五芒星の魔法陣が浮かび上がる。西久保の術書に記載されているものと同じだった。それを見た松風と北条の顔は引き攣る。
「まずい……彼女ごと浄化するつもりか……!」
松風は、屋根を蹴って莉世を追う。だが、彼の速さをもっても間に合わない。
「『壊』」
莉世がそう唱えた瞬間、閃光が走った。遅れて白煙が立ち込めた。
衝突音はしていない。
バサバサと風が操られる。松風の風により、白煙はすぐに鎮火した。
莉世と西久保の間に、二人が割入っていた。北条は莉世の腕を掴み、東は西久保に立ちはだかる。
間一髪、莉世の魔法陣が西久保に接触する前だった。
「何をする……!」莉世は必死の形相で北条を睨む。
「莉世、僕だ! 冷静になれ!」
その言葉でハッと我に返る。それと同時に、莉世の手から魔法陣が消えた。
「北条……くん……?」
莉世の身体から力が抜けた。
◇◇◇