「神」という存在は、己の使命を果たす為に存在する。
太陽神は、街を照らす為に。
豊作の神は、穀物を実らせる為に。
死神は、生命を廻す為に。
全ては、均衡が保たれている。
その為、バランスを崩すような行動を取る問題児は、すぐに消える。増してや、個人を尊重するなんてことは許されなかった。
「私のやってることは全て、この街の人間の守る為だ」
とある存在は、言った。
――――それにしては、些か目立つ行動がある
とある存在は、答えた。
「私は、この街を守る土地神。この街の人間を守ることこそが、私の使命だ」
――――本当に、そう思っているのか?
「何を……」
――――廻された魂と運命が、重なることを避けているのだろう
――――再び繰り返される現実を受け入れたくないだけだろう
「違う……私は、使命を放棄していない」
神になる時に決めたはずだ。
彼女を想う感情は、抑えるべきだと。
【5時間目:歴史】
視界が暗い。
莉世は、おもむろに周囲を見回す。
何も見えない。何も聞こえない。これは夢なのか。これは現実なのか。時間の感じられない空間だが、先ほどと違うのは周囲に人が誰も確認できないことだ。
そこで莉世は思い出す。ここは操の空間だ。特訓の時に何度も入った、時間の操作される謎の暗い空間だった。特訓の時も、この画面のようなもので、自分の過去を遡って確認した。
真っ暗な視界に突如、光が差す。映画のスクリーンのように画面が映し出された。
スクリーンの光に徐々に目が慣れ、何か映像が流れ始める。
莉世は、思考の回らないまま、映像の傍観を始めた。
★★★
ごうごうと流れる川の流水音や、さらさら木々の葉を鳴らす自然音が響く。神社周囲に建物は見当たらないものの、妖艶な赤さの鳥居は昔から変わらない。
時は、およそ百年前。場所は、藍河稲荷神社付近の山道。
「手当てなんて、したことないからなぁ……」
素朴な和服を着用した青年、春明は、細身の腕を動かしながら作業する。彼の手元でぐったりうな垂れる狐は、身体から血を流し、目もほぼ閉じかかり、今にも息を引き取りそうだった。
春明は、慣れない手つきで狐の手当てをしていた。
「よし、ひとまず完了」
春明はそう言うと、満足気に狐を抱える。が、すぐに足を止めた。
「あ〜……改装したばっかだし、家はまずいか……」
春明は、暫く頭を掻くと、そのまま藍河稲荷神社まで向かった。春明の腕の中で、狐は安堵した表情を見せる。
春明は、藍河稲荷神社境内の隅に、そっと狐を下ろす。
「悪いな、家まで連れてってやれなくて。ここなら安全だし、おまえの仲間も見守っているからな。ちゃんと毎日見てやるし安心しろよ」
そう言って春明は狐の頭を撫でると、神社を後にした。
◆◆◆
春明が神社を去った数分後、神社境内から三匹の狐が現れる。うな垂れる麦色の狐とは違い、三匹とも汚れの無い神聖な白の毛皮だった。
白の狐は春明の残した狐をじっと見ると、ボンッと白煙を排出して変化した。皆、人型でありながらも、頭には耳、真っ白な尻尾、と鬼神のように人間離れした空気が漂う。
彼らは、この神社の神と人間を繋ぐ役目を果たす『眷属』と呼ばれる狐の霊獣だった。
「春明は、お人よしだよなぁ」
金髪の眷属の一人は、頭を掻きながらぼやく。
「一応、同属ではあるが。面倒はあいつに任せよう」
黒髪の眷属は、頷きながら言う。
「まぁでも、だから音葉さんは惚れたのか」
「おい」
そう言うと、黒髪の眷属は、隣の白髪の眷属の顔を一瞥する。「音葉はもう、関係ないだろ」
視線に気づいた白髪の眷属は、肩をすくめる。
「あぁ、気にしないでください。あの人はもう、僕の母ではないので」
「人間として生きていくなんて、中々できないしな」
金髪の眷属は、顎に手を当てながら軽く言った。
白髪の眷属は、ただただ春明の連れてきた狐をじっと見た。
★★★
数日経った後。狐は、境内を歩けるほどに回復した。
春明は、狐の傷の具合を確認すると、嬉しそうに手を叩く。
「もうほとんど塞がったな。よし、じゃ、これからは気をつけて生きるんだぞ」
春明は、狐の頭を撫でると、「おいき」と手を振って開放する。狐はピョンピョン跳ねるように神社境内を抜けると、春明に振り返る。
春明は狐に手を振ると、荷物を背負って仕事へと向かった。
◆◆◆
春明の背中を、狐は茫然と見つめていた。くせ毛の黒髪に細身の身体だが、その背中には大きい何かを背負っているように勇ましく感じる。
やがて姿が見えなくなると、狐はボンッと白煙を出して変化した。白煙の中からは、絢爛豪華な刺繍の施された和服に、黒漆の髪、陶器のように白い肌。目を奪われるほどに洗練された容姿の女性が姿を現した。
「…………春明、か」
女性は噛みしめるように呟く。その顔には高揚感が溢れていた。
「あの程度の怪我は何てことはなかったんじゃがな。お主には感激したぞ。見た目は冴えんが……外見なんてものは所詮ただの器にしかすぎん。人間も案外面白いじゃないか。春明、この恩は必ず返そう……」
「ちょっと」
唐突に声が届き、女性は振り返る。
鳥居の下に、白髪の眷属が立っていた。口には軽く笑みを浮かべ、女性を見透かす眼差しで注視する。
「この神社は僕らの敷地ですよ。僕らに挨拶は?」
「ふん、神にも人間にも媚びを売っておる眷属如きに、挨拶などはない」
女性は黒髪をなびかせ傲慢に応える。白髪の眷属はにこやかな笑顔のまま目を細める。
「人型になるなら、名を名乗るべきだ」
「おっと、そうじゃったな。では妾は『環』と名乗ろうか」
女性はそう言い残すと、煌びやかな羽織を翻し、ふらりと姿を消した。それと同時に、他の眷属たちが様子を窺うように姿を見せる。
「すっげ~美人だったけど、なんか黒そうだなぁ」金髪の眷属は言う。
「だな。遠目で見るだけで満足ってやつ」黒髪の眷属も同意した。
「彼女は、嫌な予感がします」白髪の眷属は、笑みを浮かべたまま口にする。その言葉を聞いた仲間の眷属はヒューと口を窄める。
「水月様お得意の『未来予知』ですか」
「そうですね」仲間の茶々をさらりといなす。
「少なくとも近日中によくない未来が訪れます」
◆◆◆
藍河区を代表する川辺に一人、女性が歩く。
煌びやかな着物を身に纏い、洗練された彼女の美貌から、街の人たちは無意識に振り返る。そんな周囲の視線も気に留めずに、環は思考する。
環は、春明に恋をした。だが、眷属の会話からも、彼には「音葉」という女がいる。その女の存在が気になった。
春明の、恋人なのか。
春明の、許嫁なのか。
春明の、妻なのか。
何にしろ、環の中では答えはひとつだった。自身の妖力の高さから、人間の目を引くほどの美貌に変化したとは自負している。
どんな手段を使おうとも、春明と一緒になる。
「春明よ……今すぐに会いに行くぞ」
環は、高揚した頬に手を当て、街を徘徊した。
★★★