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そこでふっと、目前の映像が途切れた。
莉世は、静かに涙を流していた。
あまりにも切なくて、あまりにも辛い。こんなに悲しい現実を受け止める負担が大きかった。
「……今の過去は、『春明』を中心とした現実でした」
操の生み出した歪な空間で、白髪の青年は、音もなく姿を現わす。
「ここで少しだけ、整理しましょうか」
そう言うと、白髪の青年は、姿勢を崩す。
「まず春明について。彼は、虹ノ宮の自警団『浄化隊』の頭首でした。仲間は十二人、そして妻と娘を持つ二十四歳の青年でした。春明は、怪我を負った狐、環を救ったことで好意を寄せられ、その結果、妻の音葉は『妖狐』、娘の燐音は『半妖』だと判明します。音葉は怪異で、さらに息子がいると知りつつも、春明は音葉と共にあることを誓ったのです。むしろ正体を知ったことで、春明はさらに音葉との時間を大切にし、現職からも身を引きました。ですがその反面、環の妬みを買ってしまいました」
莉世は、静かに白髪の青年の言葉を脳内で整理する。
「環は自身の妖力で物の怪を生み出し、虹ノ宮を襲撃しました。その時に春明は悔しくも、仲間、両親、妻を失います。春明は、娘の燐音だけは守ると浄化活動に復活しますが、その頃から娘の未来予知の能力が開花します。そしてついぞ春明は、自身の身にも何かが起こると気付いた結果、力を継承する為の術書を作成したのです。環を迎え撃ちに赴いた時に、悲しくも最期を迎えることになりました」
白髪の青年は、そう説明すると、少し間を開けて顔を上げる。
「今現在、莉世さんたちの辿っている運命と、重なる部分があるとおわかりでしょうか」
莉世は、小さく頷いた。
父親の秋晴の前世が『春明』ならば、父親が寝る間も惜しんで浄化活動を行っていたことも、自分に予知能力があり、さらに半妖であることも理解できる。
術書も春明が作成したものなら、西久保の所持する術書に、日向たちが驚いていたことにも納得がいく。
「この過去を現世で知っていたのは、封印されていた元凶である環、鬼神に生まれ変わった元浄化隊十二人、繰り返される輪廻の記憶を所持する北条蒼、そして、私です」白髪の青年は、胸に手を当てて言う。
「あなたも?」
操によって時間の操作されるこの空間で、何不自由なく動き回れる彼は、やはりただ物ではないとわかる。
とはいうものの、いまだに彼の存在が掴めない。
だが、白髪の青年は柔和に目を細める。
「私については、今から視る現実でおわかりいただけるのではないでしょうか」
そう言うと、白髪の青年は背筋を伸ばす。
「さて、整理はこのくらいにしましょう。次からはあなたも時々夢で見られたであろう『燐音』を中心とした現実になります」
その言葉を合図に、再び目前に映像が流れ始めた。
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時は、春明の死亡した時。
当日の燐音は、六歳だった。
燐音は、憔悴しきっていた。父親の死ぬ未来を知り、現実から目を逸らさないと決めた燐音は、藍河稲荷神社境内にいるであろう父親の元まで駆けつけた。
それを最後に、記憶が飛んでいた。
気づけば、腕の中には、目を冷まさない紫翠、そして父親の無惨な姿。辺りにいた物の怪は姿を消し、目前には、大きな石が出現している。その石には、五芒星の刻印が刻まれていた。
環の姿は、ない。妖力も感じなかった。
次第に思考も冷静になり、刺さる視線を感じる。
燐音から数メートル離れた鳥居の奥から、警察官や救急隊の人たちが、怯えた表情で構えている。燐音を警戒しているような態度だった。
そのことからわかる。
恐らく、この周囲の惨劇は、自分が起こしたものなのだろう。
母親の音葉が死んだ辺りから、自身の身体の違和感を感じていた。もしかしたらあの時、身を呈して守ってくれた母親の妖力が、自分に引き継がれたのかもしれない。
両親もいなくなれば、大好きだった友人も腕の中で死んでいる。
「紫翠くん…………」
燐音は、堪らず紫翠を抱き締める。
紫翠との会話を思い出した。
「ねぇねぇ。結婚って、どう思う?」
環の暴動が行われる前の神社境内にて。
燐音は唐突に口にすると、紫翠はむせかえるように咳き込んだ。
「な、何、どうしたのいきなり。まさか燐音……」
「あははっ、違う違う。私がするんじゃないよ」
「そ、そっか……」
紫翠は、動揺を隠すように顔を背ける。
「結婚って、好きな人とずっと一緒にいることでしょ? それって、すっごく幸せなことだと思うんだ……」
「だ、だよね」
「紫翠くんは、結婚したい?」
「いきなり何を……」
紫翠は赤面しながら振り向くが、そこで表情が一変する。
「……燐音、どうしたの?」
「私、紫翠くんとずっと一緒にいたい」
燐音は、辛そうな声で言った。その顔は、冗談を言っているようには見えず、目にはどこか憂いが混じっている。
普段の彼女との違いに、紫翠は首を傾げる。
「何かあった?」
紫翠はそう問うが、燐音は首を横に振った。
言えなかった。何で、いきなりこんな話をしたのかなんて。
燐音は、今朝、悪夢を見た。
紫翠とは、もう二度と会えなくなる夢。何故かわからないが、紫翠とはずっと一緒にいられない気がした。
あんな夢を見てしまったから、不安でこんなことを尋ねただなんて言えるわけがない。
我儘だってわかっている。だけど、それでも燐音は、紫翠とずっと一緒にいたかった。毎年ホタルを見るとも約束したんだ。
それだけ紫翠のことが大好きだから――――
あの夢以降、環の暴動が起こり、燐音は自宅に籠もることになる。紫翠との再会が、まさに今日だった。
あの夢も、未来を示していたのだ。
未来予知は、力になると思った。
だが結局、自分のせいで皆死んでしまった。
現実と戦おうとした結果がこれならば、もう現実を見る気も起こらない。未来を変える気も起こらない。そもそも未来は変えられないのかもしれない。
何よりもう、大事な人はいなくなったのに、何も行動する気になれなかった。
あれから周囲は、燐音を警戒するようになった。環の暴動は収まったとはいえ、浄化隊でも捉えられなかった環を一瞬のうちに封印した燐音を皆は恐れた。
環の封印された石は、藍河稲荷神社で保護された。春明の鬼神を見張りにつけ、神社全体に結界を張る。
浄化する力が備わっているとは思っていなかったが、父親が力を所持していただけ受け継いだのだろう。
石でありながら環の妖力は収まらず、近づけば虫などは息絶えることから、次第に「呪石」と呼ばれるようになった。
燐音は、孤独を癒やすように藍河稲荷神社へ訪れる。紫翠の家でもあるが、実家のような安心感を抱くのだ。
確か、母親の実家がこの神社、だと聞いていた。その所以なのかはわからない。
燐音は、神社境内隅に座り込む。
ぽっかり空いた穴は、いまだ塞がらなかった。
「コンコンコン」
突如、声が届いて顔を上げる。
綺麗な白髪に、柔和に目を細めた青年が自分を見下ろしていた。人差し指と小指を立てて狐のような仕草をしている。
「お嬢さん。こんなところに座り込んでいると、風邪を引きますよ」青年は首を傾げながら言う。
「……誰?」
「僕は、あなたの兄です」
燐音の顔が引き攣った。冗談にしては笑えない。
「おや、信じられていないようですね」
「信じられるわけないよ」
「だったら、これでどうでしょう」
そう言うと、白髪の青年はボンッと白煙を出すと、たちまち半妖の姿になった。人型であるものの頭からは耳が、そして尻尾も生えている。
「ホラ。これで信じてもらえますか?」
青年の言葉も燐音はいまだ怪訝な顔をする。
警戒心丸出しの燐音に、白髪の青年は観念する。
「……あまり気は進みませんが、話しましょう。僕は、あなたの母親であった音葉の元息子なのです」
「え?」さすがに声を上げた。
「ふふ、やはり隠されていたようですね。ですが本当のことです。ですから燐音さんとは一応『種違いの兄妹』ということなのです」
白髪の青年は、指を振って説明する。彼の飄々とした態度からも、燐音は正直認めたくなかった。
「私が、怖くないの?」
燐音は目を逸らして問う。青年はキョトンとするも、すぐに笑みを浮かべる。
「恐いわけないでしょう。こんなに可愛らしいのに」
「やっぱ、兄って認めたくない」
「子どもは素直ですね」
青年は軽く受け流し、燐音は歯痒そうな顔をした。
それが白髪の眷属、水月との出会いだった。
燐音は、神社で過ごすようになる。身よりもなければ、神社が一番、安心できる場所だった。宮司は元々春明と親しい間柄で、さらに環を封印したのが彼女であるだけ、北条家も彼女を歓迎した。
そのことから、水月と話す機会も増えた。
長い時間はかかったが、燐音は少しずつ心を開き始め、以前の明るい彼女に戻りつつあった。
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