食堂外の廊下にある自販機まで向かう。
私は、顔を歪めたまま、ズンズン歩いていた。
やつあたりだとは分かっている。でも一年前から楽しみにしていただけ、無性にイライラした。自分でもつかめない、よくわからない怒りの感情に支配される。
レモンの強烈な炭酸ジュースのボタンを押す。ガコンという音が鳴り、缶を取り出した。
何に対して怒っているのだろうか。
先輩か? 天草か? それとも土屋さんか?
先輩も入部希望者もみんな悪そうな人には見えない。だけど本当に天文が目的で入部したのか不安になった。
私は、ただ、皆と空を見上げたいだけなのに。
感情が高ぶると同時に、手が滑る。缶ジュースは音を立て、床に転げた。頭が打たれたような感覚で我に返り、情けなくも転がる缶ジュースを追った。
人の足元で止まる。私は縮こまりながら、顔をあげた。
息が止まった。
「ふふっ、すごい転がったね。どうぞ」
青年は柔らかく笑いながら缶ジュースを私に差し出す。切りそろえられた髪はキューティクルが輝き、質の良さそうな黒のロングコートを着こなしている。
紛れもなく、土屋さんだった。
「つ、土屋さん!?」
思わず声が出た。その言葉を聞いた土屋さんは、目を丸くする。
「え、何で俺の名前……」
「あっ、えっと去年、オープンキャンパスで、土屋さんのことを見かけて……その時、ネームプレート首から下げられていたので……」
「あぁ、そうだったんだ。びっくりした」
ははっと笑う。土屋さんは、私のことを覚えてないのかもしれない。一瞬の出来事だったし、制服も着ていなければ髪色も変わったので仕方ない。
そう言い聞かせて、口を閉じようとしたが、「あ、もしかして昨年、天文部入るって言ってた子かな?」と声が届いた。
勢いよく顔を上げる。その反応を見た土屋さんは、目を細めて笑った。
「見た目違うから、すぐわからなかったや。ちゃんと合格できたんだね」
胸が熱くなる。ずっと見たかった土屋さんの笑顔だ。
だからこそ私は、尋ねずにはいられなかった。
「先輩は、今でも空が好きですか?」
唐突な質問に、土屋さんはキョトンとする。
やけになっているのか、私は言葉を続けた。
「私は昨年、先輩に会ったことで、この大学の天文部に入ろうって決めました……でも、イメージしていた部活動とちょっと違いました。それに先輩も全然いらっしゃらないし、引退されたのかと……」
勢いで口にしたものの、次第に語尾が消えそうになる。それと同時に視線も下がった。
土屋さんの視線が刺さる。顔が上げられない。
「勘違い、してるかもだけど」
数秒置いた後、返答がくる。恐る恐る顔を上げると、土屋さんは真剣な顔で私を見ていた。
「うちはサークルじゃなくて、部活なんだ。学校から活動費用や部室の補助も受けられる、公認の部活動なんだよ」
土屋さんは、はっきりと、そして冷静に言葉を述べる。彼の存在感に言葉が詰まった。
「君たちはタダでイベントに参加できているけどね、その費用は全て俺らが出している。飲み会なんてもちろん活動外のイベントだし、俺らが自費で負担しているんだよ。なんでそこまでしてイベントを行うと思う? それだけたくさんの人に入ってほしいからだよ」
静かにそう説明すると、土屋さんは空を見上げる。つられて私も顔を上げると、窓から覗く太陽が私たちを照らしていた。
「みんなで、空を見上げるために」
私は忘れていた。初めて出会った時から、土屋さんは空を見上げていたことを。
この人は、本当に空が好きなんだ。
「あ、俺が参加してなかったのは、研究室の方が忙しくてね。新歓はいわばお祭りだし、さすがに学業の方が優先というか……」
土屋さんは、照れくさそうに頭をかくと、私に視線を戻す。
「でも、明日からは俺も参加するよ。明日は観望会だし。だから絶対、来てね」
土屋さんは腕時計を確認すると、軽く手を振った。それと同時に昼休み終了を告げるベルが鳴る。
答えることもできずに、慌てて食堂まで戻った。
***
「遅かったじゃん」
月夜は、私を見るなり口にする。食器などはすでに返却され、食堂内もほとんど人がいなくなっていた。
「ごめん、お待たせ」
私は手で謝りながらカバンを手に取る。
視線を感じて顔を上げると、月夜が真顔で私を見ていた。
「なんか、良いことあった?」
「うん……ちょっと」
三十分前までの感情がすっかりなくなっていた。
何故かわからない。ただ、土屋さんの言葉に安堵していた。
思わず笑みが零れそうになる。
誤魔化すように、缶ジュースを開けた。プジャッと弾けるような音と共に、勢いよく泡が吹き出す。あふれた泡で手がベタベタになる。
「あぁ~最悪!」
一瞬で現実に引き戻される。転がって振られた状態になっていたことを忘れていた。
月夜はそんな私を一瞥すると、「そこにトイレあるよ」と促した。
***