私たち三年生は、十二月のこの時期には、ほぼ進路が固まっていた。
祐介は、昨年の宣言通り、AOで市内にある私立大学への進学が決定していた。
やはり少しでも美子の近くにいたいと考えているらしい。昔から彼の中で美子を中心に物事を考え、それは今でも変わっていない。
ちなみに直樹も同じ大学の進学が確定しており、まさかのAOのグループワークでも同じ班だったらしい。運命というものは残酷だ。
沙那は、市内にあるお嬢様大学と呼ばれる「黄梅女子大学」への進学が決まっていた。都心にあることで何度か前を通ったことがあるが、校門は絢爛豪華な金色、校舎も赤レンガやステンドグラスがあしらわれたりと格別な空間だった。オープンキャンパスで踏み入れることすら恐れ多い空間だった。
瑛一郎は、スポーツ推薦で県外に出ることが確定していた。大学でもスポーツは続けるようだが、サークル活動やゼミといったキャンパスライフも楽しみにしているようだ。好奇心旺盛な彼らしいとも言える。
そして私は、市外の私立大学に進学を決めていた。
一年以上前だと考えていなかったことだ。正直、この選択に私自身一番驚いていた。
同じ場所だと土はならされ、安定しているのは確実だ。
だがこの緑法館で様々な経験をしたことで、まだ開拓されてない地に足を踏み入れることもいいかもしれない、と思った。
幼少期から虹ノ宮に住んでいたことから、少し環境を変えてみたくなったのだ。
年明けには下宿用の物件を探すこととなっている。寮生活の経験があることで、下宿にも抵抗は感じなかった。
一本電車に乗れば虹ノ宮に来られるし、何よりネットがあれば離れていても繋がることができる、とは蓮の留学からも身に染みて実感した。
あと三ヶ月でこの寮生活も終わる。寂しくないと言えば嘘になるが、その分「今」という時間を大切にしようと思えるようになっていた。
***
寮の中はクリスマスムードで溢れていた。
渡り廊下の壁にはサンタやトナカイの装飾が施され、部屋のドアにはリースがかけられている。いまだ夢を見ている人がいるようで、部屋番号プレートに大きな靴下の飾りをぶら下げている部屋まで確認できる。
先週、十二月に入ったことで、寮生皆で飾り付ける恒例行事が行われていたのだった。
「久し振りだな」
祐介はラウンジで馴染みの顔を見ると頬を緩める。
「ちょうど一年ぶりだもんね」私も答える。
「俺がいない時はやってなかったのか?」蓮は驚いた顔で問う。
「そうだよ~渚がしないって言ってさ」美子はリース型のデニッシュパンを齧りながら答える。
「だって、蓮の場合は特殊だったからさ」
自分の名前が飛び出たことで、ラウンジ端にある大きなツリーを眺めていた渚がこちらに振り向く。
そばにある棚の上のエイのぬいぐるみにまでサンタ帽が被せられており、粋なものだ。
朝の運動は、蓮が旅立った日から休止となっていた。渚が提案したことだ。
「だって、五人一緒じゃないと意味ないじゃん」渚は胸を張って言う。
「でも、私たちが修学旅行行った時はやってたんでしょ?」
「それとこれとは別だって。修学旅行とかはむしろその日だけ特別な運動ってなるかもしれないけどさ、蓮の場合は一年間なんだよ。運動を続けて蓮が来ないっていうのが当たり前になってしまうのは嫌じゃん。だから蓮が帰ってきてから再開するの」
彼女らしい理屈といえばそう思えるものだ。
蓮も、彼女の行動に無意識に頬が緩んでいた。
「でも一年も前か。今年は体育もなくなったし、さすがに衰えてるわ」
祐介は足をねじりながら苦笑する。
「それに寒いし、身体が動かない」私は身を縮めて言う。
「だからこそ身体を温めないとダメでしょ。はい、じゃラジオ体操から始めるよ!」
渚の意気盛んな声に私たちはいつものように距離を取った。
***
「も~いくつ寝ると~クリスマス~」
美子は、ラウンジ内のソファーに寝転びながら歌う。
「美子、それちょっと違う」
私は苦笑して突っ込む。
「クリスマス会が楽しみなんだな」
祐介は軽く笑いながら美子の頭を撫でる。
「うん! だっておいしい食べ物たくさん出てくるんだもん!」
美子は満面の笑みで言う。
今日は十二月二十三日。二日後にクリスマスが訪れることで、寮内もソワソワした空気が漂っていた。
毎年二十五日は寮内でクリスマスパーティーが開かれることになっている。食堂の人たちも腕を奮い、チキンやケーキなどの豪華な料理が食卓に並ぶ。ビンゴゲームやプレゼント交換といったベタベタなイベントを行う予定だった。
ちなみにパーティーに参加しない人たちはお察し、といったところだ。
「今年こそサンタさんが来てくれないかな~」
渚はテレビ隣の棚に置かれているエイのぬいぐるみを弄りながら呟く。
「昔、サンタが出たって町内中言いまわってたことあったな」
蓮が過去を思い出すように言う。
「あったあった。何か強盗が入ったかのような勢いだった」
私は笑いながら同調する。
「だってあたし、ずっとパパとママがサンタさんだと思っててさ。クリスマスの日ずっとパパとママを監視してたのに、いつの間にか部屋の机にプレゼントが置いてあったんだよ? それに窓が開いてたから、絶対絶対、サンタさんはいるんだってば」
渚は拳を振り上げて力説する。
「まぁ、いるといえばいるのかな」
祐介はスマホを弄りながらさらりと言う。
「祐介?」
「ほら、これ」
そう言って祐介はスマホを皆に向ける。私たちは覗き込む。
画面には、マップのようなものが表示されていた。
「サンタが現在、どの辺りにいるかを確認できるらしい。まだ日本には辿り着いてないって」
祐介は淡々と言う。
「なにこれすごい!」渚は目を輝かせて言う。
「さすがこの時代というか」私も笑う。
「ある意味、現実的だろ」祐介は肩を竦めた。
くだらない会話をしていると、どこからかベルの音が響く。
それと同時に、「フォッフォッフォ~」と低く笑う声が届いた。
しぶしぶ顔を向けると、そこには赤い服に身を包み、白いひげを口につけ、大きなプレゼント袋を所持した人物が立っていた。
彼の後ろには、引き攣った顔で笑う奏多に直樹、それに沙那が立っていた。
「何やってんのさ、瑛一郎」
「瑛一郎じゃない。サンタだぞ~」
白いひげにミュートされた声で反応がある。
「違う! だってサンタはまだ日本に辿り着いてないはずだもん」
渚が即座に否定する。
「何だよそれ。何でそんなことわかるんだよ」
あっさり見破られたことで瑛一郎が渚に問う。
「なんか、瑛一郎くんが皆にプレゼントを渡しに回ってるらしい」
はしゃぐ瑛一郎と渚を置いて、沙那は苦笑しながら説明する。
「今年で最後だからってさ、後輩たちに夢を与えたいらしい。お菓子だけど」
ほら瑛一郎、寮長だからさ、と奏多は言う。
「俺らまで巻き添えだけどな」
直樹は感情の欠落した声で言う。
以前ラウンジで四人が集まっているところに遭遇したが、恐らくこのことについて話していたんだろうな、と内心思う。瑛一郎のやりそうなことだ。
「でも、少し気が早くない?」私は素朴に問う。
「二十五日はみんなクリスマス会で暴れて疲れて寝ちまうだろ? つか俺が寝ちまうだろうしな」瑛一郎はあっけらかんと言う。
「明日は瑛一郎にとって大事な日だもんね」奏多は言う。
「大事な日?」渚は問う。
「萌さんとデートらしい」何故か祐介が答える。
「えっそうなの?」
「おうよ! 会いに行ってもいいっすかって聞いたらオッケーしてくれてよ。明日朝イチで飛んでくるわ」瑛一郎は上機嫌に笑いながら言う。
「長年の努力が実を結ぶって言うやつなのかな……」私はぽかんと口を開けていた。
「何だって早い方が嬉しいに決まってんだろ。つーわけで、はい、渚ちゃんと美子ちゃん」
そう言って瑛一郎はプレゼント袋から取り出した品を二人に渡す。
受け取られた品を見て、二人は目を丸くする。
「エイヒレ?」美子はポツリと呟く。
「瑛くんだからエイヒレ?」渚も呟く。
「酒のみじゃあるまいし」私は引き攣った顔で言う。
「ちなみにエイ関連のグッズやお菓子だってさ。ほんと、自己主張が激しいよね」奏多は苦笑しながら言う。
「うるせぇな! 俺だってわかってもらわなければ意味ねぇだろ!」
「サンタじゃないな」祐介は笑う。
「ちなみに三年はねぇぞ。これは後輩の為のイベントだ」
「俺は?」蓮が自身を指差す。「俺だって今、二年だけど」
瑛一郎は一瞬キョトンとするも「いやいやおまえはダメだ!」と拒否する。
「忘れてたんだね」奏多は言う。
「萌さんの為に貯金使うんだから仕方ねぇだろ、ギリギリなんだ。じゃ、行くぞ!」
瑛一郎はそう言うと、意気揚々と歩き出す。
茫然と彼らを見送っていると、直樹が振り返り、こちらまで歩いてくる。
「直樹?」
「美子ちゃん、ちょっといい?」
そう言って直樹が笑顔で手招きする。
「何?」
美子が反応するよりも先に祐介が前に出る。
「なぁに~?」
だが美子はソファから立ち上がると、てててっと直樹まで近づく。
祐介は軽く面食らう。
「美子ちゃん、明日夕方頃空いてない?良かったらまた、ごはんご馳走するよ」
直樹は笑顔で提案する。
「却下!」祐介は険しい顔で否定する。
「祐介は関係ないやろ」直樹は頬を膨らませて言う。
祐介と美子が実の兄妹でないと知られてから、直樹は積極的に美子に声をかけるようになった。もはや開き直ったようにも捉えられる。圧倒的な差のある祐介が相手だからこそ仕方がなかった。
目前でいがみあう直樹と祐介を、美子はぽかんとした顔で眺めていた。
「うん。いいよ~」
「美子ちゃん?」「美子?」
彼女のアッサリした返答に二人とも目を丸くする。
「前にテスト頑張った時になおくんたくさんおいしいものご馳走してくれたんだ~。だからたまにはお兄ちゃん以外の人と遊ぶのもいいなって」
美子は屈託のない顔で笑う。
その彼女の反応に直樹は目が輝き、祐介は顔面が蒼白になった。
「お、おい。いくらなんでも明日って……」
「美子ちゃんが良いって言ってくれたんやから良いんやろ。じゃ、またあとで祐介がおらんときに連絡するわ」
直樹は勝ち誇ったようにそう言うと、足早に瑛一郎たちの元まで戻った。
上機嫌な直樹のことを、沙那は少し寂しそうな目で見つめ、さらにそんな彼女を奏多は口を結んで一瞥した。
「二日連続でおいしいもの食べられる~」美子は何も考えてなさそうに両手を上げる。
祐介は現実が受け入れられてないのか、唖然と口を開けながら硬直している。
「祐介、大丈夫?」私は恐る恐る声をかける。
「これが、兄離れってやつなのかな」祐介は視線の定まらない目で呟く。
「毎年当然のように一緒にいたからさ、まさかあいつの誘い受けるとは思ってなくて」
「ま、まぁでも祐介なら、構ってくれる人だってたくさんいるでしょ」
「そういう問題じゃない。明日はイブだぞ」祐介は引き攣った顔で言う。
「美子、とりあえず話があるからこっち来て!」
「は~い」
美子は何も考えてなさそうに祐介の元まで向かう。そのまま二人は自室へと歩いて行った。
「兄妹離れできていなかったのは祐介の方なのかな」
渚はニヤニヤ笑いながら言う。
「普段、美子が祐介を頼りにしていただけにショックだったんだろ」蓮は冷静に分析する。
頼った人より頼られた人の方が相手のことを好きになる性質がある、とは聞いたことがあるものだ。
だが、祐介の美子に対する感情を知っているだけに同情はした。