第一セメスター:五月➃



「さっき話してたけど、今日は尾泉の方に行く予定だから、まずは適当な店でご飯食べてから、コンビニに寄るね」土屋さんは説明する。

「尾泉なら、あの中華屋かな」上級生が言う。

「もう、お決まりパターンだね」

 助手席の人が言う。「あ、昴、音楽は?」

 土屋さんは、思い出したように、自身のスマホを助手席の人に渡した。助手席の人は、慣れたようにスマホを触る。

 数秒した後、車内にオシャレな音楽が流れた。軽快なサックスにドラムがリズムを取っている。

「ジャ、ジャズ……オシャレだぁ〜……」

 思わず呟くと、土屋さんは眉を下げて笑った。

「ドライブ用に、いろんなジャンル入れてるんだよ。選曲は、こいつのセンスだから」

「あ〜、そーやってハードル上げるのやめろよ」助手席の人は頭をかく。

「テラさん、ジャズとか聴くんすか」上級生は揶揄うように言う。

「夜のドライブで、ジャズって定番だろ」助手席のテラさんは、満更でもなさそうに言った。

「じゃ、行くよ」

 土屋さんはそういうと、エンジンをかける。窓から他の車に合図すると、ハンドルを切った。運転になれてる人の手さばきだ。 

「今日は新月なんだな」誰かが言った。

「雲も出てないし、観測日和だね」誰かが答えた。

 家族以外との夜のドライブは初めてだ。いや、今までは高校生だったので、条例的にも当然ではあるが。

 心臓が高ぶる。オシャレな音楽に、上級生に囲まれた車内、何だか自分も大人になった気分だ。

 高揚感で無意識に唇を噛む。不意に視線を感じて前を向くと、バックミラー越しに土屋さんが私を見ていた。

 慌てて顔を反らす。まるで子どもを見る目だ。きっと浮かれてる私を見て楽しんでいるんだ。

 一時間ほどで、チェーンの中華店に辿り着く。
 車から降りると、同じタイミングで他の車からも部員が降りてきた。

「空ちゃん、食べきれるの?」

 斜め前に座る土屋さんは、机の上に並ぶ料理に目を丸くする。
 私の前には、あんかけチャーハンと餃子、ラーメン、唐揚げが並んでいた。

「はいっ。大丈夫です!」

 山にはコンビニがないのは当然だ。なので腹ごしらえは、このタイミングでしておくべきだろう。
 オールで起きている経験なんてないので、どれだけ準備すればいいかわからない。とはいえ、備えあれば憂いなしとは言うものだ。

 だがぶっちゃけ、このチェーン店の中華屋は普通サイズでも量が多いと忘れていた。
 口では強気だったが、正直食べきれる気はしない。

 黙々と食べていたが、六割ほど食べた時点でお腹が膨れてしまった。

「お、倉木。唐揚げ頼んだんかよ。ひとつくれよ」

 隣に座る天草は、そう言うと、私の返答を待たずして箸を唐揚げに突き刺さした。

「あっ、ちょっと!」

「うめ~! やっぱ俺も唐揚げ定食にすべきだったか」

 天草は、幸せそうに頬をこする。一瞬の出来事で、私は唖然とする。

「いきなり食べるの、ひどくない?」

「おまえ、もう腹膨れてんだろ」

「なっ…」

 図星だった。内心困ってはいなかった。「何で、わかったの……」

「苦しそうにしてんじゃん。はりきりすぎだろ」
 
 天草は軽く言う。彼はオールするのに慣れているんだろう。

「やっぱ、食べきれなかったんだ」

 今のやり取りを見ていたのか、土屋さんは、私に声をかける。

「す、すみません…」

「俺も、唐揚げちょうだい」

 そう言うと、口を開けて頬を指差した。
 まるで「あーん」を待機するような、あざとい振る舞いに、思考が停止する。

「へ?」

「残すともったいないよ。ほら」

 促すように、自身の頬をつんつんする。挑発するような目だ。
 私は思考が回らないまま、お箸で唐揚げをつかむと、土屋さんの口へと運んだ。
 ガリッと心地良い音が鳴る。サクサクの衣が少し、口から零れた。

「ん、おいしい。ありがと」

 土屋さんは、舌で唇を舐めると、目を細めて笑った。

 心臓がバクバクなっていた。
 大人の余裕を見せつけられたかのようだ。当の本人は平然としている。

 これが土屋さんだとわかっているのだろう。周囲の人たちも何も言わない。

「後輩はいいよ」

 お会計時、財布を出そうとすると、先輩たちに制される。
 一年生たちは、ポカンとしていた。

「え、でも、私結構、食べてしまったので」

「俺も、もらったからさ。空ちゃんが先輩になった時に、後輩にしてあげて」

 土屋さんは笑う。
 結局、この日の夕食は、三年生が全て支払ってくれた。私も数年したらこのような余裕ができるのだろうか。

「想像、できないな……」

 私は緩む頬を抑えながら、車に乗車した。



***

 夕食を食べ終えた後、コンビニに立ち寄った。

「前にも言ったけど、山で一晩過ごすから、軽食買うなら買っといてね。自販機は近くにあるけど、食べ物は売ってないから」

 ちなみに朝は食べに行くよ、と土屋さんは説明する。

 皆、コンビニに入ると、各々に行動する。
 軽食を選ぶ人、トイレに行く人、雑誌を見て話す人。
 私は、軽食とエナジードリンクを購入すると、外でタバコを吸っている土屋さんの元へと向かった。

「空ちゃん、煙たいでしょ」

 私に気づいた土屋さんは、煙をかき消すように手をふる。

「いえ、大丈夫です。えっと、これ……お礼です」

 そう言って先ほど購入したエナジードリンクを差し出した。
 土屋さんは、キョトンとして私を見る。

「お礼?」

「運転に、ごはんもおごっていただいたので」

「ふふっ、空ちゃんマジメだね」

 土屋さんは、笑いながらも受け取る。「エナジードリンクってことは、もっと運転がんばれよってことだ」

「いえ、そんなつもりでは……!」慌てて手を振る。

「冗談。ありがとうね」

 土屋さんは、タバコの火を消すと、私の頭をポンッと叩いた。

 私は頭を擦りながら、土屋さんの背中を見る。

 もう、いちいち大人だ。
 そんな彼から見たら、私なんて子どもにしか見えないはずだ。だからいつも、子ども扱いされるんだ。

 だが、正直、土屋さんに構われるのは、嫌ではなかった。

***