「いらないならいい」
そう不愛想に言われると、手を引っ込めて足早に歩き始める。
「あっ待ってよ……！」
私たちは赤い鳥居の元まで向かった。
「哀～！！」
渚が眉間に皺を寄せて叫ぶ。
「ちょっと何離れてんのよ！ スマホも全然繋がらないし！」
「スマホ……！」
慌てて確認する。着信が数十件とついていた。
「ご、ごめん……スマホの存在忘れてた」
「まさか、哀がはぐれるとはな」
予想外だ、と祐介は苦笑しながら首を掻く。
「哀ちゃんいけないんだ〜」
美子はフランクフルトに齧りつきながら言う。
「ごめん……何か暑さでぼーっとしちゃって」
「ほんと人凄いよね～あたしもさすがに疲れちゃった」
渚は手をパタパタと振る。
「じゃあ、川の方行くか」
祐介の提案に、皆動き始める。
鳥居を潜った先に警察が集まっている場所があった。
相変わらず多いなぁと何気なく目をやっていたが、そこで目を見張る。
先ほど私に声をかけてきた、線の細い青年が警察と話していたのだ。
————信じきっていたらきっといつか痛い目を見る。
心臓の鼓動がすぐ耳の裏に響く感覚だ。
神社の関係者ではないのか？
だったら彼は一体………
「哀？」
祐介が私の異変に気づいて声をかける。
「いや……何でもないよ」
私は平然を保って前を向いた。
そんな私を、蓮はじっと見ていた。
＊＊＊
川で購入したものを堪能した後、私たちは家路につく。
川の水に冷やされた上流の風により、家に着く頃には頭も冷静になっていた。
それぞれの家の前まで来ると、私たちは振り返る。
「じゃあ次は、二日後の花火大会だな」
「そうだね。今回は特別観覧席があるから、今日みたいに迷子が出たりはしないからね」
そう言って渚は、ニヤッと笑いながら私を見る。私は視線を逸らす。
皆に手を振ると、ドアに手をかける。
「哀」
唐突に名前を呼ばれて振り返る。
「蓮、どうかした？」
蓮は私をじっと見る。
「今日もし、哀の元に向かったのが祐介だったら同じ反応したの？」
「え？」
「祐介じゃなくても、渚でも美子でも……俺じゃなかったらどうだった？」
「ど、どういう意味？」
私は混乱して聞き返す。
随分冷静になれたとは言え、まだ頭が回っていなかった。
私の反応をじっと観察した蓮は、大きく溜息を吐く。
「よく考えて。もし同じ反応していたのなら………………本当に無神経だから」
そう言うと、蓮はそのまま家の中へと入った。
私は、ぽかんと口を開けていた。
今の蓮からは、ピリッとした怒りが感じられた。
「そんなこと……急に言われても…………」
私は火照る頬に手を当てながら家の中へと入った。
＊＊＊
今日は奏多たちが私の実家に来ていた。
お盆真っ只中である為、身内の用事がたびたび入る。
とはいうもののうちには兄弟がおらず、親戚で同世代は奏多しかいない為、もはや身内というより仲の良い友人のような感覚になっていた。
「沙那とは会ってないの？」
私はカップアイスを食べながら何気なく尋ねる。
ソーダアイスを齧っていた奏多は、やりずらそうにこちらを向く。
「もう最近、単刀直入だよね」
「だって萌さんが沙那は帰省してるって言ってたからさ。直樹はわからないけど、萌さんも瑛一郎もいないんだから二人きりじゃん」
「僕は別にそういうのじゃないんだよ」
奏多は唇を突き出して反論する。
「本命と遊びは別物ってやつ？」
「何それ」
「直樹が言ってた」
「あいつと一緒にするのはやめてよ」
奏多は大袈裟に顔をしかめる。
「それ、祐介にも同じこと言われたな」
「やっぱ僕は、祐介くんと似てるんだ」
奏多は表情を反転させて満足気に笑う。
奏多にとって祐介は憧れであり、尊敬できる存在であるらしい。
素直であるが故に、感情がわかりやすく顔に出るものだから見ていて飽きやしない。
「沙那は特別かもしれないけどさ、やっぱ幼馴染でも女の子だと意識するもの？」
そう尋ねると、奏多は「どういう意味？」と首を傾げる。
「前に蓮に言われたの。俺たちは幼馴染以前に、男と女なんだって」
素直にそう言うと、奏多は目を丸くする。
「蓮くんに言われたの？ というか蓮くんが言ったの？」
「同じ意味だけど」
驚きすぎ、と私は苦笑する。
「いや、意外だなぁって……まぁでも、男の方が性別を意識しているような感じはするかな。男って結構汚いよ。僕の偏見だけど」
「そんな澄んだ目で言われたら信じちゃうよ」
「僕は嘘吐けないんだ」
奏多は濁りのない瞳でまっすぐに言う。
「それはそうと、蓮くんにそういうことを言われたってことはさ、哀は蓮くんにそう言われるようなことをしたってことだ」
奏多はニヤニヤした顔で私を見る。
「哀は今まで人の恋愛ばかりに興味持っていたけどさ、哀自身はどうなの？」
「私？」
「もしかして哀は自覚していないだけで、結構罪作りなのかもしれないね。だって、少なくともそれを言われるってことは、蓮くんの方は哀のことをただの幼馴染とは思ってないってことだから」
私は静止する。そして無言で奏多に顔を向ける。
「何でそんなこと言えるの？」
「哀は多分、蓮くんに何かしたんでしょ。だから蓮くんは哀に自覚持ってって忠告したんだよ。勘違いされるようなこと、した記憶ない？」
「それがわからないから忠告されたんだよ……」
「哀は自分のこととなると途端に鈍くなるよね。自分の行動を他人に置き換えて、その人をいつもみたいに観測するように考えたらいいんじゃないかな」
奏多は指を立てて提案する。
私は、自分の行動を蓮のことを想ってる下野さんに変えて考えてみる。
もし修学旅行の際、ホテルの外で眠っている蓮のもとに訪れたのが、私ではなく下野さんだったならば。
もし夏祭りの時、はぐれた下野さんの元に蓮が駆け寄っていたならば。
そうしてその場面を私が目撃していたならば————
「何か……嫌だ…………」
「嫌？」
普段は私の大好物な空色だ。特に下野さんの片想い関係であるだけ感情が一番現れやすい気候なんだ。
それなのにも関わらず、私は喜んで見ることができなかった。
修学旅行の自由行動の際に抱いた感情と似ている。
あの時の私は、無意識に彼の服の裾を————
「へぇ……ふうん………………そっか……」
意味深に呟く声が聞こえて顔を上げると、奏多は愉快気に口角を上げていた。
「何なのさ、その顔……」
一人だけ楽しそうな奏多に顔が引き攣る。振る舞いまでもが祐介に似てきたものだ。
「蓮くんかっこいいから結構モテそうだしね」
「だから何なの？」
苛立ちながら問うも、奏多は表情を変えずに天井を見上げる。
「今の哀からは、天満宮に初詣行った時のような純粋さは感じられないかな」
＊＊＊
奏多たちの帰った夜。私はベッドに寝転がり、思案に暮れていた。
「年下のくせに……」
私は奏多の態度を思い出してムッとする。
もう幾度となく反芻した蓮の言葉を思い返す。
————もし、哀の元に向かったのが祐介だったら同じ反応したの？
もしあの時、私の腕を掴んだのが祐介だったら……
多分、同じ反応はしていない。
蓮が遠くに行くと恐れたから、離れたくないと思ったんだ。
全部全部覚えている。
あの時の私の言葉も、感情も、蓮の表情も、そして体温も————
心臓がドクンと脈打つ。
鼓動の音が鼓膜まで響いてる感覚だ。
私は大きく溜息を吐いて寝返りを打つ。
恐かっただけなんだ。
そして————安心しただけなんだ。
＊＊＊
「すっごい人だね〜〜今日はいつもより時間が遅いからかな」
渚は周囲を見回しながら声を上げる。
その身は、椿のあしらわれた紺青の生地に包まれ、真紅の帯によって全体を引き締めていた。顔を隠す為のマスクも着用されている。
「普段は廃駅かなって感じなのにすごいよね～多分ここは、この花火大会で経済を回しているんだよ～」
美子は唐揚げをもぐもぐ食べながら、さらりと失礼なことを言う。
全身を覆う浅葱地に金魚が泳ぎ回り、朱色の帯で彼女の柔らかい空気を醸し出していた。
「都心から電車で一本だから、人も集まりやすいんだろうな」
祐介は、美子の頭を撫でながら現実的な言葉を言う。
濃紺の綿素材の生地に身を包み、五分丈の袖からは筋張った四肢が伸びていた。さらりと着こなしているところもさすが彼と言える。
「人、多すぎだから……」
蓮は、眉間に皺を寄せながら言う。
清潔感溢れる灰色の綿生地に、白ベースの帯が映え、彼らしく全体的に落ち着いた佇まいだ。外見が良いだけ様になっている。
八月一五日。この日は、隣町で行われる花火大会に出向いていた。
普段は人気が感じられずに閑散としている駅ホームも、今はたくさんの人で賑わっている。
「尾泉」と大きく記載された駅看板の下には、浴衣を着用した人がたくさん待機している。駅直結にある総合病院前も、今では患者とは思えない高揚した空気を身に纏った人物で溢れていた。
そして私たちも夏最後のビッグイベントということで、皆、浴衣や甚平に身を包んで花火大会に望んでいた。
周囲は山で覆われ、目前にも田園が広がり、地元以上に森林がたくさん見られる。
最寄り駅であるここから徒歩二十分ほど先にある、地元の三倍はある大きな川が開催場所となっていた。
「今日は場所取りの必要もないし楽だね～」渚が上機嫌に言う。
「本当、マネージャーさんにありがとうって言っといてね」
私は彼女にお礼を言う。
今回は彼女のマネージャーが、有料である特別観覧席の予約をしてくれていた。席が確保できている余裕から、例年よりも遅めの時間に到着できたのだ。
「全然。むしろこれがリンくんの仕事なんだから当然なんだよ！」
「花火大会の特別観覧席を予約することが？」
「あたしのお世話をすることが！」
渚はどや顔で言い切る。お世話されている自覚はあったようだ。
「特別観覧席か。座れるなら屋台で買ったもの食べることもできるよな」
これはありがたい、と祐介は頷く。
今は午後七時半。花火打ち上げ開始は八時なのであと三十分はある。
今回は花火大会がメインである為、地元の夏祭りほどではないものの、道なりには観賞のお供には充分なほどの屋台が出ていた。
「今日もたくさん食っちゃうど～」
美子はそう言うと、屋台の並ぶ場所までパタパタと走り始めた。
祐介は慌てて彼女を追い、渚も嬉々として便乗する。
いつも通り蓮と私は出遅れる。
「毎回このパターンだ」
蓮は面倒くさそうに頭を掻く。
私は隣に立つ蓮を一瞥する。
普段とは違う和装が新鮮に感じる。特に蓮は身長が高く、整ったパーツをしているだけに映えていた。
昔から何度も見ている姿のはずなのに、気を抜くと目を向けている。
絶対先日、奏多と蓮の話をしたせいだ。
そのせいで、妙に彼のことばかり意識してしまっていた。
＊＊＊
会場が近づくにつれて、観客を誘導する警察官や浴衣を着用したカップルなどがたくさん目に入る。
拡声器を使った警察官の注意やスマートフォンのシャッター音がそこら中に響く。河川敷ではレジャーシートを広げて場所取りをしている家族がたくさんいた。
特別観覧席に辿り着く頃には、私たちの手には屋台で購入した食べ物で溢れていた。