「これはまたひとつ、おもしろい情報仕入れたもんだ」
祐介は顎に手を当てながら笑う。
「ちょっと祐介……! いつからそこにいたのよ!」
渚は冷や汗を流しながら問い詰める。
もはや愚痴と呼べる言葉を吐いた瞬間、その本人が現れたのだから妥当の反応ではある。
「今だけど。おまえの声がするからまた問題起こしてないか、確認」
祐介は愉快気に口角を上げる。「でもそうか、人の弱みばかり握ってるシスコンと思われているとはな」
「そ、空耳じゃない? あたしはそんなこと言ってない」
「俺は別におまえが言ったとは言ってないけど」
あっさりと動じない祐介の態度から、渚は感情のやり場がわからなくなり、口を曲げて腕を掲げる。
年齢差はひとつだが、温度差からもさすが祐介は大人だな、と内心思った。
***
もうすっかり日課となりつつある朝の運動も、今日は少し色が違っていた。
「ついにこの日が来てしまったようだな」
瑛一郎は腕を組んで仁王立ちしている。
「今日はしかとあなたの成長を見せていただこうじゃないの」
対面に立つ渚も彼に応えるように胸を張る。
普段通りに六時半にラウンジへ向かうと、瑛一郎と渚が向かい合っていた。
「もしかして今日、リベンジマッチ?」
私はソファに腰かけている祐介に尋ねる。
「そうらしい。昨日の夜に決まったとか」
祐介はあっさりと答える。
「朝から鬱陶しい熱さだよね〜」
美子はキャラメルパンを頬張りながら答える。
「これはあの日からリベンジのことを忘れた日はない。毎日のトレーニング量を三倍に増やし、かつサボることはなかった」
「確かに修学旅行の時でも、部屋で何かやってた」
蓮は鬱陶しそうに顔を歪めながら言う。
「俺は確実に成長したはずだ。何より俺には負けられねぇ理由があるんだ」
瑛一郎は渚を指差して宣言する。彼の至極真面目な表情に、無意識に息を飲む。
「告白するんだろ」
「そうだ。俺は今日最後まで立ってられたら……って何で知ってるんだよ!」
瑛一郎は勢いよく祐介を指差す。
祐介は「だっていつもそうじゃないか」と肩を竦める。
この件については私も頷いた。
瑛一郎は、イベント終了後や目標を達成した後など、自身が成長したと自己判断で感じるたびに萌にアタックしていた。もはやこれは恒例行事とも読めるほどだ。
だが瑛一郎は、感情が素直に外に現れる。残念ながら結果は察せてしまうものだ。何より毎回アタックしなければいけない事実からもわかることだった。
そこでふと思う。
「……そういえば萌さんて、進路のこと皆に言ったのかな?」
私は祐介に耳打ちする。あの場にはいなかったが、恐らく彼なら情報は握ってると判断しての行動だ。
「まだ言ってないみたいだな。合格したらしいし、多分今回あいつはそのことを聞くんじゃないかな」
祐介は至極当然のように答える。「ま、恐らく今夜はあいつの慰労会になるだろ」
私の突然の問いかけにも全く動じず、むしろさらに新しい情報まで入手していた。ここまでくるともはやあっぱれだ。
「じゃあもうこのエイくんもお役目御免なんだ〜」
美子は寂しそうにエイの頭を撫でる。
「おうともさ。でもせっかくだから、これからもそいつそこに置いてやってよ」
お世話よろしく、と瑛一郎は親指を立てる。
「別にいらない」
美子はぷいっと頬を膨らませてそっぽを向く。
「あれ、さっきと態度違うくない?」
瑛一郎はキョトンとする。
「さっさと始めようぜ〜」
祐介は瑛一郎の言葉をさっさと切り上げた。
***
今日は土曜日。いつものように朝の運動終えた後、ソファで伸びていた。
「今日のごはん、何かな〜?」
美子は天井を見上ながら呟く。
「確かベーコンエッグトーストだったはず」
祐介は即答する。
返答を聞いた美子の顔は「やった~」と拳を上げる。
渚は口角を上げながら美子に振り向く。
「美子、今日はあたしの分も食べていいよ」
「えっいいの? 前は怒ってたのに」
「どんな心境の変化だ」
美子も祐介も目を丸くして驚く。
彼らの反応が愉快なのか、渚は得意気に指を振る。
「今日はこの後すぐに仕事なんだ! リンくんがいつも仕事の時はたくさんお菓子を持ってきてくれるから胃袋を開けてないと」
確かに以前マネージャーから頂いたお菓子は高級ホテルメーカーの品だったので理解はできる。
「いいなぁ〜美子もモデルになろうかな」
美子は人差し指を口にやりながら呟く。
「それは俺が許可しません」
祐介は涼しい顔で否定した。
「ということで、あたしはそろそろ出発します。あたしがいないところで楽しいことをするのは禁止だからね!」
渚はいつもの如く念押しして立ち上がると、颯爽とこの場を去った。
「むしろ、あいつがいない時くらいしか休めないんだよ」
祐介は頭を掻く。
「俺も、久し振りにゆっくり寝れる」
眠っていると思っていた蓮も、珍しく上機嫌に答える。
「今日は用事ないのか」
祐介は素朴に問う。蓮はこくりと頷く。
最近休日になると、蓮は姿を見せなくなることが多い。いやむしろ今までも私たちに隠す為に、部屋で寝るといいながら出かけていたのかもしれないが、それにしても最近の彼は忙しない。
無意識に蓮に顔を向けていた。
***
朝の運動を終え、流れで解散となっていた。
渚の仕事のある休日は、基本的に集まることもなく各自自由に休むことが多い。
私はスマホを手に取り、ベッドに寝転がる。
連絡してみても良いだろうか。
あの日以来、ずっと未解決のままだった。
以前、蓮の気持ちも把握したものの、その後何かが起こったわけでもない。蓮が忙しいこともあり、二人で会う機会もなければ話すこともない。
そもそもあとニヶ月もないうちに彼は日本を発つのだから、恋人関係になる兆しすら見えなかった。
別に付き合いたいわけではない。
だが、今のつかず離れずの関係に歯痒さを感じていた。
————好きな人と一緒にいたいと思うのは自然の感情だろ
前に祐介が言っていたこの言葉、今ならわかる気がした。
ただでさえ蓮は外見が良い。
切れ長の目や鼻筋の通った鼻に身長の高いスタイル、気だるげだがその姿すら彼のファッションとなっている。
普段は口数は少ないが、夏祭りの日は焦燥感が感じられた。それに留学の際を打ち明けてくれた時も感情が感じられた。
それだけ私のことを気遣ってくれていた、と考えるだけで胸が締め付けられた。
スマホを弄り、メッセージアプリを起動する。
二人で会う機会は今までも何回もあったが、何故今はこんなにも緊張するのだろうか。
今日は珍しく休みと言っていた。部屋で寝ると言っていただけに、ほぼ一人で部屋にいるはずだ。
私は思い切って『今、空いてる?』と連絡を入れた。
すると、一秒も立たずに既読がついた。
「え?」思わず声に出てた。
通知が来てから開いたような速さではない。
まるで彼もメッセージアプリを開いていたかのように感じられた。
数分待った後、返信が来る。
『俺も連絡しようとしていた』
素っ気ない短文も彼らしくて自然と口角が上がる。
私は立ち上がると、足早に彼の部屋へと向かった。
***