時刻は、丑三つ時。
「うぅ……やだ……やだよ…………」
少女は、悪夢にうなされていた。
春明は、うなされる娘の頭を撫でて落ち着かせる。
「一人にしないで…………死んじゃやだよ…………」
娘は、悲しそうに口にする。その目には涙が浮かぶ。
春明は、悔しそうに顔を歪め、机上に積まれた書類を一瞥する。
その未来が訪れた時の為にも、すでに準備は終えている。この未来が訪れないに越したことはないのだが。
普段は、頭を撫でれば落ち着きを取り戻すが、今日は依然と変わらない。それほど恐い悪夢なのかもしれない。五芒星のペンダントを持ってしても抑えられないのかもしれない。
自分は死んでも良い。娘に何かが起こることだけは避けたかった。
「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」とニーチェの格言が思い浮かぶ。
知らぬが仏、とは言うものだ。
知らないで幸せならば、知らない方が良い。
これは、親バカである父親の愛情だった。
☆☆☆
時刻は、午前八時。
莉世は、ベッドの上でうずくまっていた。祖母に体調不良を説明して、今日は学校を休んでいた。
思い出すだけで吐き気がする。おぞましく、全身ががたがたと震える。
それほど今朝見た「未来」は、目を背けたくなるほどの悪夢だった。
「本当に……これが未来なの……?」
莉世は、布団にうずくまりながら呟く。普段は、悪夢を見たその日には、東たちに報告して浄化に向かう。
だが、今日見た夢は、とても自分たち中学生の立ち向かえるものではなかった。脳内に流れた映像は悲惨なものだった。
終戦後のように音のない戦慄状態の光景。無惨にも四肢の無くなった人や、突起物で身体を貫かれたかのような大けがを負っている人。辺りには血痕が飛び散り、赤黒く温かさの感じられる血だまりもいくつも見当たる。皆、ピクリとも動かない。
ただ中央に、幼い少女が動かなくなった少年を抱いていた。その少女の前には――――
蘇るたびに胃から何かがこみ上げる。莉世は部屋を飛び出し、トイレへと駆け込んだ。
「はぁ……気持ち悪い…………何なのこれ……」
自分ひとりで抱えるには重すぎる。誰かに話を聞いてもらいたかった。
――――とにかく、何か夢で視たら、どんなことでも言ってほしい。もしかしたらその夢が、環を浄化することに繋がる可能性がある
北条の顔が浮かぶ。だが学校へ行けば、必然的に東と西久保と顔を合わせることになる。
もちろん浄化に向かえるわけもなければ、西久保と気まずい空気になるのは避けたかった。
それでも、どうしても誰かに話を聞いてほしかった。
「神社……」
今日は五時間授業だ。それに、四人の誰かがかけている場合は、特訓を行わない日が多い。東のサボる言い訳だ。
授業の終了する時刻に、神社へ訪れてみよう。
そう考え、再び布団に身を丸めた。
☆☆☆
時刻は、午後三時三十分。
五時間目授業が終了し、恐らく北条が帰宅しているであろう時間を狙って神社へ訪れた。
案の定、帰宅中の北条と顔を合わす。
「あれ、君、体調不良じゃ」
北条は、莉世の顔を見ると目を丸くする。
普段と変わらない冷静な声に、どこか安堵して全身から力が抜ける。
普段何気なく会う存在が、こんなにも力強いのか。
一人ではない安心感から、涙が出そうになった。
莉世の態度に違和感を感じたのか、北条は眉間に皺を寄せる。
「また、夢を視たのか?」
「うん……ちょっと、一人では抱えきれなくて……」
「中で聞くよ」
そう言うと、北条は鳥居をくぐる。莉世も彼の後に続いた。
☆☆☆
普段、特訓で利用している境内。縁側に腰掛けながら話す。
夢を思い出すたびにこみ上げてくるものを耐える。こんなにも悲惨な現状が訪れることに耐えられなかったのだ。
北条は、ずっと冷静な顔で聞いてくれている。そんな彼の存在がとても心強い。
「それが、未来なのか……」
話し終えた後、北条は噛み締めるように呟いた。
「うん。今まで見ていた悪夢と変わらないから、未来であるのは確実だと思う……」
口にするほど現実味がない。信じたくなかった。
北条は莉世を一瞥すると、深く息を吐く。
「……過去に起こった、環の暴動と同じだ」
「そうなの?」
「あぁ。あの時も街は戦後のように荒れ、住民は大量に亡くなった」
北条はまるでその光景を見たかのような重みで話す。
「だったら、この夢は、『過去』なの……?」
「そうとは言い切れん」北条は、前を見据えて言う。
「魂と同じように、運命もまた廻されるものだ。実際、呪石にひびが入ったことで、物の怪が増えていることは現実だからな」
「嫌、嫌……こんな未来、嫌だよ……!」
莉世は、頭を抱える。
北条は、しばらく唇を噛むと、背筋を伸ばす。
「…………僕は、ずっと莉世の傍にいるから……」
「え?」
「その為に、桜鼠に転校してきたんだ」
何故、いきなり北条がそう言ったのかはわからない。だが、彼の言葉には重みがあった。まるで、過去に約束をしたかのような決意が感じられた。
そんな彼に不安が消えたのか、一気に緊張が消える。
泣いているとバレたくなくて、顔を下に向けて目を瞑った。
「うん、ありがとう……北条くん……」
莉世の返答に満足したのか、北条は顔を前に向ける。
緊張が解け、少しずつ冷静になり始めたことで、莉世は、遅れて顔が熱くなった。
傍にいる、だなんて、言われるとは思わなかった。
胸の中が痒い。だが、彼のおかげで不安は消えた。
「そ、そういえば、私の名前、覚えてくれたんだね……」
ムズムズした感情を逸らすように話題を切り出した。
誤魔化しきれていない莉世を、北条は愛おしい目で見ていた。
「大切な人は、例え生まれ変わろうとも忘れはしない」
そう言うと、北条は莉世に顔を近づけ――――額にキスをした。突然の行動に、莉世は静止する。思考がついていかなかった。
睫毛の長い、肌の白い端麗な顔が自分をじっと見る。
至近距離で見られていると気付き、顔から火が出そうになるほどに熱くなった。
「えっ……えぇえ?」
現状を理解するのに時間がかかった。全身に言語化できないむず痒さも走る。
「北条くん……?」
問おうとした瞬間、頭に温かい体温を感じる。
北条が、柔らかい顔で頭を撫でた。見たこともない優しい笑顔に、続ける言葉が飛ぶ。
あれ、この感覚。
私は以前も、同じことを経験した気が――――
「もうすぐ日が暮れる。早く帰ったほうが良い」
正気に戻り、莉世は小さく頷く。日の沈んだ暗い空は、赤くなった顔を隠すのには最適だった。
頭が真っ白で、周囲が見えていなかったのだろう。
だからこそ、木影から彼女を見る、西久保の姿にも莉世は気付かなかった。
◇◇◇