4時間目:保健体育2



普段よりも遅れて学校へ向かう。時間ギリギリに登校する生徒が多いようで、下駄箱は少し混雑していた。

授業開始五分前のベルが鳴る。莉世は人の隙間を縫い、慌てて教室へ向かった。

教室扉を開くと、いつもはすぐに目に飛び込んでくる光景に違和感を抱く。

北条がいない。

それに、西久保の姿もなかった。

「おっ、南の南雲は来たな!」

東は、莉世の顔を見るなり、安堵したように手を上げる。莉世は軽く驚きながら席まで向かう。

「もう授業始まんのによ~。おまえまで来ねぇのかってびっくりしたぜ」

「な、なんで二人は……?」

「知らねぇよ。まさか二人で抜け駆けしてんじゃねぇだろうな」東は顔を露骨に歪める。

「抜け駆けって」

「ホラ今日は、皆既月食じゃねぇか。それも八十五年ぶりの、ほぼピッタリ重なる完璧な皆既月食らしい」

東は指を立てる。「次これだけ重なんのは、六十年後だってよ」

確かに昨晩、祖母と夕食を食べている時にそんな話はした。

「で、でも、それは夜だし関係ないんじゃ……」

「わかんねーよ。授業をサボって遊びにいくのは、誰でも夢見ることだからな」

東は、もはや何を言ってもヤケクソ状態だった。

授業開始まで五分を切っていることから、遅刻であるのは確実だ。特に北条は、ほぼ毎日クラス内で一番に登校していただけに違和感を抱いた。

だが、どこか安堵している自分もいる。

昨日の今日で、北条と普通に接せる自信はなかったし、西久保に限っては、あの場に彼女はいなかったとはいえ、合わせる顔がない。

「昨日は南雲で今日はこいつらが欠席。だったら明日は俺か?」

「東くんは元気そうだね」

「俺は、風邪引かねぇからな」

東は誇らし気に胸を張る。風邪を引いていることに気付かない人種もいたな、と内心思い返すも口には出さない。

「は~ったく、おまえらの体調に合わせてられっかよ。南の南雲、今日は特訓するぞ」

「え、でも北条くんいないのに」

「神社にいけばいるだろ。ついでにお見舞いもしてやろうぜ」

「随分と上からだ」莉世は苦笑する。

「俺がリーダーだって、忘れてねぇか」東は口を曲げて言った。

授業開始のベルが鳴ったことで、席に着いた。

☆☆☆



放課後、莉世は東と共に学校を出る。途中、街探索の際に訪れた駄菓子屋で適当にお菓子を買い、神社へと向かった。

隣を流れる大きな川からは、湿った草の香りが届く。今はギリギリ雨は振っていないものの、相変わらず空は曇天で、梅雨前線の到来が知らされた。

「あいつ、喜んで泣いたりしねぇかな」

東は、駄菓子を入れた袋を見ながらニヤニヤ笑う。

「北条くん、そんなに感情豊かじゃないでしょ」

「俺の貯金を使ってまで買ってやったんだからな。少しはそういった態度を見せてもらわねぇと気がすまねぇだろ」

「さくら大根を食べても酸っぱくなさそうだったけど……」

他愛ない話をしていたが、神社隣の小川を通った時に、ふと今朝の夢を思い出した。

「ねぇ東くん。東くんの友達で、『燐音』って名前の女の子、いたりしない?」

「リンネ?」東は藪から棒にと首を傾げる。

「今朝視た夢で、そんな名前の女の子が出てきてさ……」

「あ、そっか、未来。多分、いねぇな……」

東は顎に手を当てながら思案する。「リンネと言えば、輪廻転生しか出てこねぇ」

「やっぱ、いないよね……」莉世は小さく息を吐く。

ホタルのピークは過ぎていれば、登場人物も面識がないにも関わらず、妙に引っかかっていた。

朱塗りの大きな鳥居をくぐり、普段特訓を行っている関係者エリアへ向かう。

だが、今日は普段と違って騒々しい。

「何かあったんか?」

東は柵に近づき、中を窺う。莉世も彼に続いて中を確認する。呪石のある封印の社を中心に、神主や巫女たちが慌ただしく行きかっていた。

「環は本当にいないのか?」

「わからない。だが、普段とは全然違う」

「鬼神たちは何やってるんだ」

会話の様子からも、環の封印されている「呪石」に何か異常があったとは感じられた。

「何かあったのか?」東は近くの巫女に声をかける。

「あ、東くんたち」

巫女は東に気づくと、軽く足を止める。毎日訪れていたことで、相手もこちらを認知していた。

「呪石が割れちゃってね。環の封印が解けたんじゃないかって言われてて」

「封印が解けた……?」

「美咲ちゃん、急いで」

神主が彼女に声をかける。巫女は面目なさそうに頭を下げてこの場を去った。

「環が逃げたってことか?」

「そ、そうだよね……」

途端、先日見た悪夢が蘇った。

終戦後のように音のない戦慄状態の光景。無惨にも四肢の無くなった人や、突起物で身体を貫かれたかのような大けがを負っている人。辺りには血痕が飛び散り、赤黒く温かさの感じられる血だまりもいくつも見当たる。皆、ピクリとも動かない。

「ひぃっ」莉世は思わずその場に座り込む。

「南雲!?」

身体を抱えて蹲る莉世に、東は目を丸くして様子を窺う。

「ど、どうしたんだよ」

「…………あれはやっぱり……未来だったんだ……」

莉世は、身体を震わせて答える。

「一昨日の夜、悪夢を見たの……人がたくさん死んじゃう夢…………」

「本当に未来なのか……?」

「わかんない……でも、私が物の怪の夢を見る時と同じ感覚だったの……」

思い返したくもないほどの悪夢だ。東は莉世の背中を擦ると、小さく息を吐く。

「信じられねぇけど、南雲の夢は当たっからな……これだけあいつに渡して今日は帰るか」

「蒼なら、いないョ」

突如、癖のある声が頭上から振る。顔を上げると、屋根の上に人影が確認できた。

「だ、誰――――」

そう答えると同時に、目前に何者が着地する。二人の人物が姿を現した。

一人は、細い目に舌に「巳」の刺青、和服袖から三匹の蛇が覗く青年。もう一人は、ツインテールで手の甲に「戌」の刺青、犬の尻尾の生えた女の子だった

人型ではあるものの異質な空気が漂うことから、恐らく松風や日向たち「鬼神」の仲間だろうとは感じられた。

「初めましテ。ワタシは斑(まだら)。この犬娘は、八角(ハッカク)。日向と同じく鬼神だョ」

蛇の青年、斑は、独特な発音でありながら律儀に自己紹介をする。

「犬娘って言い方、やめてくんない?」

犬の女の子、八角は、眉間に皺を寄せて斑を睨む。

「だったら、雷娘かい」

「嫌味感じるんですけど」

八角は、ピリピリした態度で口を開く。元々人間であるだけ、人間らしい能天気な会話だった。

「おい南雲、何か獣みたいな匂いするけど、物の怪か?」

東は怪訝な顔で問う。莉世は慌てて手を振った。

「鬼神だよ鬼神。二人いる。でも初めましての人で……」

「ちょっと何この男。獣って失礼ね!」八角は、表情を一変して東を睨む。

「少し痛い目を見てもらおうカ」斑も袖から顔を覗かせる蛇と共に東に向かう。

莉世はワタワタしながら二人の前に立った。

「え、えっと、東くん、霊感がなくって……鬼神さんたちの姿が見られないの……」

「あ~そういえば、霊感ない子がいるって松言ってたかも。何か猿っぽいし」八角は、東の顔をじろじろと観察する。

「それはそれで失礼だけどネ」斑も腑に落ちない顔で東を見る。

二人に注視されているが、当然東には見えても聞こえてもいない。

「北条くんがいないって、どういうこと?」

莉世は改めて問う。鬼神二人は、思い出したように彼女に顔を戻す。

「言葉の通りだョ。蒼は今、ここにいない。どこにいるのかもワカラナイ」

「どこにいるのかも?」

「うん。昨日、ここを飛び出したっきり帰ってきてないよ」八角も同意する。

「それって、呪石の封印が解けたことと関係があるんですか……?」莉世は、恐る恐る問う。

斑と八角は暫し黙り込むが、やがて顔を上げる。

「そうだネ……。呪石に封印されていた環を追いかけたんだョ」

「この神社には、結界が張られているんだけど、環はアッサリ抜け出したの。あたしたちは抜けられなくて、だから蒼くんが憑依してあいつを追いかけた」

斑と八角は説明する。莉世は返す言葉が見つからなかった。

「おい、北条がどうしたんだよ!」

莉世の言葉を聞いていた東は急かす。莉世は東に説明した。

「環を追いかけたって……あいつ一人でか?」

「うん、そうみたい」

そう答えると東は暫く空を見上げてたものの、やがて両手をパンッと鳴らした。

「とりあえず、北条だから北から攻めるか」

「攻めるって」

「俺らはこの日の為に毎日特訓していたんじゃねぇか」

東は強い意志で言う。北条に加勢する気満々だった。

「無駄だョ。我々でも抑えられなかったんだ」

斑は目を鋭くして言う。

「そうだよ。あんたたちに何ができるっていうの」

八角も顔を強張らせて答える。

「ほっとけるわけねーだろ。バケモン相手にあいつ一人で敵うわきゃねーんだからよ」

東は眉間に皺を寄せて言う。鬼神二人と会話しているかのようなタイミングだ。

「それに怪異なら、少なくとも俺の体質は有利になるはずだ」

「それはそうかもだけど……」

「つべこべ言わねぇ。さっさといくぞ」

「やめろ!」

怒気の孕んだ声で思わず静止する。聞こえていないはずなのに、東も身体が強張った。それだけ大地を揺るがす威圧感があった。

声の方へ顔を向けると、操に身体を支えられている日向の姿があった。その身体には、何か所にも包帯が巻かれている。

「ひゅ、日向さん……!」莉世は目を丸くする。

「ひゅーたん。まだ寝てなよ!」

八角は、青ざめた顔で日向に駆け寄る。

「やれやれ、日向は相変わらずだネ。我々がせっかくお節介焼いたのにサ」斑は、袖の蛇と肩を竦める。

「もしかして……環の仕業ですか?」

莉世の言葉に、日向は静かに頷いた。

「あぁ。私は別に問題ないが松風はまだ時間がかかる」

「松風さんまで……」

莉世は口元を抑える。東も「松風?」と首を傾げる。

「私の責任だ。私が皆を開放しなければ……」

「ひゅーたんの責任じゃないよ。むしろ開放してくれなかったら、今頃もっと被害が出てたって」八角は必死に伝える。

「そうだネ。日向がいたから、すぐに環の異変に気付くことができたのだョ」斑も頷きながら言う。

先ほどまで緊張感のなかった二人から、日向を心配する感情が感じられる。信頼感が感じられた。

日向は悔しそうに唇をかみしめる。

「環はここに封印されている間、ずっと力を蓄えていたと言ってた。その言葉の通り、我ら十二人全員、開放状態でも止められなかったんだ。おまえたち人間の子どもが向かったところで、返り討ちに遭うだけだ……」

「で、でも、北条くんが……」

「あいつは憑依している。とにかくおまえたちは行くべきではない」日向は、振り絞るような声で言う。

莉世は、唇をかみしめた。

悪夢が現実になった。私はまた、未来がわかっていながら行動することができていない。

足が硬直して竦む。恐怖から神経も麻痺しているのだとは感じられた。

北条くんは心配だ。

だけど、恐い。

痛いのは嫌なんだ。

死ぬのは嫌なんだ――――

「おい南雲、行くぞ!」

はっと目を覚まさせるような威勢の良い声が響き渡る。思わず顔を上げると東が焦燥気味な顔をしていた。