「莉世」
はっと正気に戻る。顔を上げると、父親と東が不安気な顔で自分を見ていた。
「ママって……環に殺されたの…………? だ、だってあの時は、建物が崩壊して……」
「あれは環の生み出した物の怪によるものだった」
父親は感情を殺して答える。
「で、でも東京にいたのに……なんでママが……」
その問いに、父親は顔を歪める。
「環が何を考えているかはわからない……。だがもしも、今起こっているこの運命が過去と同じ道を歩んでいるのだとすれば……環が俺たちの母親を狙った理由は見当がつく」
「それって……?」
「いずれ莉世も知ることになるはずだ。今は割愛させてほしい」それだけ複雑なんだ、と父親は諭す。
「だから莉世だけは物の怪に近づけたくなかった」
父親が自分に伏せて浄化を行っていたことを差しているのだとは、莉世には伝わった。
「とにかく環の浄化を行わなければ、いつかおまえに被害が及ぶ可能性があった。だから俺はこの街にきたんだ。妻の復讐の為に、そしておまえを守る為に、な」
そこまで話すと、父親は近くにあった五芒星の刻まれた箱を取り出し、机上に乗せる。蓋を開けると、札のような紙が大量に現れた。全ての札に、読めない文字が記載されている。物の怪の浄化を行った際に、西久保の術書に刻まれる読めない文字のように見える。
「これは、この街に来てから浄化した物の怪の数だ」
「こんなに大量に?」東は驚く。
「まだ引っ越して来て、二ヶ月なのに……」
札の数はおそらく千枚近くはある。それほど父親が時間を割き、無理をしてきたのだろう。
「環を浄化するには、少しでも環の妖力を削る必要がある。だから俺は、寝る間も惜しんで物の怪の浄化を行った。一人で地道にな。そして二ヶ月経った今、ようやく環の妖力を感じないところまで来た」
以前、街探索をした際にも北条が言っていたことだ。それに悪夢を見なくなったことから、物の怪の数は確実に減っていると莉世も感じていた。
「つまり、もう環の浄化に移れるところまできていたんだ……」
「でも、昨日……」
「あぁ、呪石の封印が解けた。もしかしたらこうなる未来を読んでいたのかもしれない。俺はあの日から環の復讐の為に生きていたのに……」
父親の声は震えていた。それだけ感情を抑え込んでいるようにも感じられる。
「まぁ、そういう経緯でこの街に来ることになった。俺がおまえに話していなかったのは、全部おまえを危険な目に合わせたくなかったからなんだ……だから、今まで黙っていて悪かった」
「ううん。それだけ大事に思ってくれたんだもん……」
莉世は頭を振って応える。
「でも、私も一緒に闘わせてほしい。お母さんを殺し、松風さんや日向さんまで傷つけた環が許せないから……!」
「おう。俺も全力で闘ってやるぜ」
東も気合を入れて手を叩く。
そんな力強い二人に、父親は目尻を下げる。
「ありがとうな……」
そう答えると、父親は切り替えるように別の何かを机上に置く。莉世と東は、机に置かれたものを見る。
五芒星の描かれた石のようなものだった。
「あーこれ命が吸われるやつじゃねえか!」東は叫ぶ。
「命が吸われる?」父親はキョトンとした顔で問う。
「あの神社の山でそれと同じ石を拾った時に、北条がそう言ったんすよ」
「命が吸われることはないかな」父親は苦笑しながら答える。
「あいつ、騙しやがったな」
「だけど、これは様々な役目を果たす。今日はこの話をする為に、君にもここに来てもらったんだ」
「俺が?」
東は素朴に首を傾げる。父親は、しばらく東を観察すると、軽く頷いた。
「東くん。上の制服を脱いでもらって良いかな」
「んぁ?」
「パパ?」
東と莉世は同時に目を見開く。しかし、父親は態度を崩さない。
「自分で見えないところなら、恐らく背中、かな……背中を見せてほしい」
「は、ふぁ……?」
東は、怪訝な目で父親を見る。いきなり友人の父親に服を脱げと言われて行動に移せないのは仕方ない。
しかし、東は観念したように、学ランのボタンを外し始める。見ているのも悪いと思い、莉世は壁に視線を向けた。
背後で服の擦れる音が聴こえる。妙にむず痒くなる。
何だ、この何とも言えない、微妙な空気は。
ちらりと父親を窺う。変わらず真剣な表情のままだ。
しばらくすると「やっぱりか」という父親の呟きが聞こえた。
「やっぱりって?」東は問う。
「君の身体にも、この五芒星があるんだよ」
「え?」
莉世は思わず振り返る。突如飛び込んできた上半身裸の東に、莉世は「きゃっ」と手を顔にあてがった。
「おい、南雲! いきなりこっちに向くんじゃねぇよ」
「もう、お嫁にいけない……」莉世は軽く頭を振る。
「大丈夫だ。嫁にやる気はない」父親は、澄ました顔で口にした。
「ってか、五芒星があるって何だよ」東はシャツを着直しながら問う。
「この五芒星の示すものは、『対物の怪』用として扱われるんだ。……いや正確には、物の怪に対する力を所持するものには五芒星が『浮かび上がる』んだよ」
そう言うと、父親は机上に置いた石に触れる。
「この五芒星には五つの力がある。物の怪を『封印』『浄化』『敬遠』『誘引』そして『呪縛』する力」
「何だそりゃ」
「『封印』と『浄化』の違いはわかっているだろう。『敬遠』は物の怪を寄せ付けない力、逆に『誘引』は物の怪を引き寄せる力。そして『呪縛』は、物の怪を引き留める力にあたる」
その言葉を聞いてピンとくる。
――――物の怪を『呪縛』している
以前、池の浄化の際に、東の行動を見て北条が言った言葉だ。東も、父親の言いたいことを理解したのか、先ほどと顔が変わった。
「神札には物の怪を『浄化』する力、鬼神は物の怪を『封印』と『呪縛』する力を所持している。莉世に渡したお守りには『敬遠』……」父親はそこまで説明すると、しばらく間を置いた後、東に振り向く。
「君の体質は聞いているよ。物の怪を寄せ付けなければ、物の怪を捉えることができるようだね。まさに『敬遠』と『呪縛』する力を持っているのだろう。物の怪に対する力があるものには、基本的にこの五芒星が浮かび上がる」
「確かに、西久保さんの持っている術書の表紙もそうだったかも……」
「基本この五芒星は『物』に現れる。人体に印されるとは聞いたことがない。俺も神札を扱えるが、身体が物の怪に対する力を所持しているわけではない」
「でも、俺は……」
「あぁ、このマークがあることで君自身が、物の怪に対する力を所持している証明になる。つまり、君はほぼ物の怪に敗れることはない」
「最強すぎない?」莉世は口にする。
「それの確認がしたかったんだ。悪いないきなり」
「いやいや、俺は特別だしな」
東は表情をコロッと変えて満悦に笑った。
「それだけ知ってるって、やっぱりパパ、すごい人だったんだ……」
莉世が気づかなかっただけで、東京にいる時もずっと浄化の仕事をしていたのかもしれない。父親が物の怪の浄化ができるだなんて優越感も感じる。
父親は、少し照れくさそうに、顎に手を当てる。
「実はパパはな、昔活躍した陰陽師の生まれ変わりだと言われているんだよ」
「昔、活躍した陰陽師?」
「名は確か、『春明』と言った」
☆☆☆